【KISSTORY】Gene Simmons

KISSTORY

ジーンは、1949年8月25日(1947年説もあるが、実際は1949年のようだ)にイスラエルのハイファで生まれる。父は Feri Witz、母は Florence。ジーンの父に関する情報は非常に少ないが、イスラエルで大工をしていたらしい。

ジーンのイスラエル時代の名前は、Chaim Witz だった。

イスラエル在住時、ジーンは学校の催しでカウボーイの格好をしてステージに立ち、まだ勉強していない英語を適当に歌って周囲を楽しませた。この経験から、奇抜な行動で人々を驚かせたり楽しませることに興味を持ち始めた。

ジーンの母 Florence はハンガリー人で、大戦後にジーンの父と結婚。しかし、1954年には離婚、その後、1958年、ジーンが9歳の時にアメリカへ移住。彼女は縫製工場で働き始め、姓を旧姓の “Klein” に改名した。

ニューヨーク州ブルックリンのウィリアムズバーグに叔父と叔母とともに住み始めたジーンは英語の勉強を開始、主にコミックを教材とし、そこで覚えたスラングをそのまま日常会話で使っていたという。当時のコミック界ではSFが主流で、テレビの影響もあり、ジーンは徐々にホラー映画にも興味を持つようになる。特に「千の顔を持つ男」は大のお気に入りだった。

1962年、13歳になったジーンは、名前を Chaim からアメリカ風の Gene に変え、学校に通い始める。転校を経て、最終的にニューヨークのニュートン・ハイ・スクールに落ち着く。新聞配達や肉屋でのアルバイトで家計を助けながらも、学業では優秀な成績を収めた。自由時間にはホラー映画やコミックに没頭し、”COSMOS”という名のコミック同人誌を作成。

他にも “FAUN”、”TINDERBOX” という同人誌も手がけた。15歳の時、ウィスコンシン大学(大規模なSFライブラリーを所有)から連絡があり、ジーンのコレクションをタイム・カプセルに入れないかとの誘いを受け、全ての同人誌を寄贈したという逸話が残るほどの本格的な同人誌だった。

15歳頃になり女の子にも興味を持ち始めるが、当時は母の手料理のおかげで肥満体型だった。クモや虫で女の子たちを怖がらせて楽しんでいたりしたため、なかなか思うようにはもてなかった…。

他のミュージシャンと同様、ジーンも The Beatles の Ed Sullivan Show 出演に衝撃を受ける。音楽的というよりは、女の子たちの熱狂ぶりに魅せられたという。また、The Beatles のルックスにも興味を持った。「バンドのみんなが同じヘアスタイルなのが面白かった。グループ名を聞いて各個人の顔ではなく一つのイメージが浮かぶのがいい。メンバーの顔や性格を覚えなくてもグループのイメージがあるのがいいんだ。完璧なタイミングで完璧なグループが現れた。ちょっと先を行っていただけさ。未来的というほど先ではない。みんなより、ちょっと髪が長いだけというのが素晴らしかった」と1978年に語っている。

1967年、18歳になったジーンは母が近所の知り合いから買ってくれた$15の KENT というギターを手にする。1つのコードを何時間も弾き続け、様々なバリエーションを作るなど、練習に明け暮れた。 1968年になり、Missing Links や Rising Sun といったローカル・バンドに参加し始める。その後、参加した Long Island Sounds というバンドはかなりの成功を収め、ニューヨーク地域周辺のいくつかのハイスクールで演奏するようになる。 Long Island Sounds でジーンは、キーボード/ギター・プレイヤーの Stephen Coronel と出会う。また、このバンドからジーンはベース演奏も初めている。ジーンとStephenの二人は仲が良く、Long Island Sounds 解散後もいくつかのバンドを共に渡り歩いた。

高校卒業後、ニューヨークの Sullivan County Community College に入学し、ジャーナリズム学を専攻した。その頃、 Bull Frog Beer という名のバンドを始めるが、ギタリストが病気で脱退することとなり、ジーンは Stephen を加入させている。ローカルではそこそこ人気を集めるが、1970年に自然消滅的に解散。ジーンはフォーク・スタイルにイメージを変えようとし、髭と髪を伸ばし、ブーツを履いてデニムのオーバーオールを着て、フォークギターを持ってクラブなどに出演していた。

大学の教育課程を進めるため、マンハッタンに近いスタッテン島の Richmond College へ転校、専攻も教育学に変えている。1969年頃、ジーンは、友人の Brooke Ostranderと共に溜まった自作曲をデモとして録音している。その中には、フォーク調の ”Chimney Sweeps“ や ”She” 、”Amen Corner” 、”Simple Type” 、そして2001年に発売されたBOX SETに収録された “Leeta” が含まれていた。その時に2曲収録のEP盤も作成された。Side 1には “Stanley The Parrot”、Side 2には “Leeta” が収録された。ジーンは完成したデモを持って、レコード会社を回り始めるが、うまくはいかなかった。

音楽活動と並行してジーンは学業での努力も怠らなかった。大学卒業時には教員資格も得ていて、アッパー・ウエスト・サイドのパブリック・スクールで実際に教職に就いている。学校へは教材としてスパイダーマンのコミックを持ち込んだり、ギターを持参してビートルズを子どもたちに聴かせるなどのジーンらしい方法も用いていた。

Stephen とジーンは、2人だけのユニット的なバンドを本格的なバンドへと発展させようと試みる。そこで、Stephen は旧知のギタリストをジーンに紹介する。そのギタリストとの出会いがジーンのその後の人生を大きく変えることとなる。彼の名は Paul Stanley。

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