【KISSTORY】1972年 The 3rd Member

KISSTORY

経験あるロックンロールドラマー、ソフトでもハードでもオリジナルを演るグループを求む。

1972年8月31日の Rolling Stone 誌の MUSICIAN’ FREE CLASSIFIED 欄(フリーのメンバー募集広告欄)に載ったメッセージを見て、ポールとジーンはそのドラマーに電話をしてみることにした。そう、この広告主こそがピーター・クリスだった。

ジーンが電話した時、ピーターは自宅でパーティーをしていた。ピーターはこの時既に最初の妻であるリディアと結婚をしており、リディアによるとこの時のパーティは数日前に引っ越してきた新しいアパートの内装変更をした後のパーティーだったそうだ。電話に出たピーターはワインですっかり酔っ払っていた。(ピーターによるとそのワインのラベルには猫の絵が描かれていたらしい。)ジーンは電話で(イギリス風のアクセントを使って)「ヒゲは生やしているか?」「太っていないか?」「見た目はいいか?」「服のセンスはいいか?」「髪は長いか?」と次から次へと質問をした。ピーターはジーンから聞かれる都度、大声でパーティーのゲストに同じ質問を繰り返した。

数日後、3人は Electric Lady Studios で会うことになった。ジーンとポールはまったくの普段着で(どちらかといえばみすぼらしい格好だった)、スタジオ外の車に寄り掛かるように立って待っていた。ピーターはゴールドのサテン・パンツを履き、ターコイズ色のブーツを履いていた。何しろジーンからは電話で、ファッションのことなどを聞かれていたのだから…。そして、外の2人には目もくれずにスタジオの中に入り「ジーン・シモンズとポール・スタンレーっていう2人に会いに来たんだけど」と尋ねると、受付の男は「2人なら外で待ってるよ。」と答えた。ピーターは窓の外を見て思った「えぇ、あり得ないよ!オレにはワイルド・ドレッサーか?なんて聞いておいて、あんな野暮ったいヤツらなのかよ!」

ピーターはポールとジーンに自分が演奏するからブルックリンの King’s Lounge まで観に来てくれと言った。ポールはその演奏を聴いて、ピーターはいけると直感した。「ブルックリンの小さなクラブなんかよりマジソン・スクエアーの方が彼には向いている。」と思った。

数日後、ポールとジーンは彼らが練習で使っていたロフトにピーターを呼んでセッションを行った。が、ロフトに置いてあった Wicked Lester の Tony Zarella 所有のドラムではピーターはうまく叩くことができなかった。ピーターが語っている「ドラマーにとって、どのドラムを使うかっていうのはホントに重要なんだ。死活問題さ!パーツの数やインチ数、自分との距離、いろんな問題があるんだ。」その日の演奏はお互いに納得いく出来にはならなかった。次のセッションの時、ピーターは自分の全てのドラム・セットを持って来た。そこで全てが噛み合った。その時の演奏は最高だったとピーターは振り返っている。

ポールが振り返る「ピーターとセッションをし始めた当初は、完璧にしっくり来たわけでもなかった。でも、何か感じるものがあったから、何度かピーターには来て貰ったんだ。でも、何度も演奏していく内に曲やサウンドがしっくりくるのを感じたんだ。」

ジーンが振り返る「最初は The Rolling Stones の Charlie Watts のようにルーズでねっとりと脂っぽい感じだった。ピーターは他のロック・ドラマーとは叩き方が違ったんだ。ビッグ・バンドがスウィングを演奏している雰囲気だった。でも、何かがオレたちにマッチしたんだ。」

ピーターは、その経歴上単なるロック・ドラマーではなかった、モータウンからスウィングまで様々なジャンルの音楽を経験していたのだ。

ジーンが語る「そもそも The Beatles もモータウンとチャック・ベリーを融合して、自分たちなりに解釈して彼ら自身の音楽としてアウトプットしたんだ。だからオレたちも自分たちが好きだった音楽をイギリスだろうがアメリカだろうが全てを取り込んで、自分たちの心と口からアウトプットすれば、何か違った新しいものが生まれると思ったんだ。」

1972年の秋、ジーン、ポール、ピーターの3人はニューヨークの 10 East Twenty-third ストリートにある Live Bait という名のバーの上階にあるロフトで数ヶ月リハーサルを重ねた。まだ、バンド名は Wicked Lester のままだったが…。

ロフトの壁には防音を考えて、タマゴのカートンが貼られていた。だが、そんな物は彼らの音量の前では何の意味もなかった。

3人は1972年11月20日に、Epic Rocords のオーディションも受けていた。担当者はミュージシャンの Don Ellis も同行させていたのだが、Don はジャズのトランペッターであり、ロックを理解するミュージシャンではなかった。その時の3人はまだ顔を白く塗る程度のメイクだったが、多少の演出も考えていた。演奏した曲は、DEUCE、STRUTTER、FIREHOUSEの3曲で、ポールは FIREHOUSE の演奏終わりに炎に水をかけるような動作でバケツいっぱいの紙吹雪を彼ら2人に浴びせた。担当者は彼らの演奏や演出に興味を持ったが、Don にはまったく響かなかった。(Don は Lynard Skynard さえダメと批判するような人だったのだ)結局 Epic Records との契約は成し得なかった。

また、3人でマジソン・スクエアに Alice Cooper のショーを観に行っている。ショーの演出に興奮した彼らはロフトに戻り、自分たちはどういうスタイルで行くのかを度々話し合った。New York Dolls の雰囲気に Alice Cooper のショーマンシッップを組み合わせたら何が生まれるのか?彼らの想像は尽きなかった。

彼らはバンド名も Wicked Lester から新しい名前に変えようとしていた。sex、drugs and rock ‘n roll のイメージに近い名前を探していた。3人で車を走らせている時にポールが閃いた!「KISS という名前はどう?」2人はすぐに賛成した!このおかげで FUCK や CRIMSON HARPOON という候補の出番はなくなった。

タイトルとURLをコピーしました