【KISSTORY】Paul Stanley

KISSTORY

ポールは、1952年1月20日にニューヨーク州のクイーンズ(ブロンクスという説もある)で生まれた。父の名は William Eisen 、母の名は Eva。ポールは元々は Stanley Bert Eisen という名だが、現在はポール・スタンレイに改名している。兄弟には2歳上の姉 Julia がいる。

一家は、ポールが生まれて間もなくマンハッタンの北部インウッドに引越している。ポールは両親と姉ジュリアと共にクラシックやオペラなどを聞きながら暮らしていた。ポールの両親は大のオペラ&クラシック・ファンで特にベートーベンの交響曲を好んで聞いていたそうだ。

成長するにつれROCKに興味を覚えるようになる。最初に影響を受けたのは Eddie Cochran であった。近所の子供たちが外で遊んでいるのをよそに、毎回欠かさず AMERICAN BAND STAND を見たり、ラジオを聞いたりしていたという。 13歳の時にギターを弾きたいと思うようになる。当然、ポールはエレキ・ギターが欲しかったのだが、母が買ってくれたのは$16の日本製クラシック・ギターでナイロン弦が張ってあった。親の薦めでクラシック・ギターの教室に通うが、レッスンは遅々として進まず、嫌気のさしたポールは早々に教室を辞め独学で練習を始める。しかし、14歳の時に数ヶ月ほどギター教室に通いフィンガー・ピッキングの練習をした。 15歳になり、ついに念願のエレキ・ギターを手にする。最初のギターはVOXの2ピックアップのギターであった。普通の子供達がするように、いきなりリード・ギターをするのではなく、もっぱらリズム・ギターとしてコードを弾くほうが楽しかった。この頃からバンド活動を始めるが、他のメンバーと同様に高校生の頃のバンド・キャリアについては多くを語っていない。

ポールが最初にリード・ボーカリストとして活動したバンド Incubus は3人編成で、変則的ながらベーシストがいなかった。ベーシストがいなかった理由は、ポールによると、当時の近所の子供達はもっぱらアメリカのTOP40に夢中で、ポールが好きだった The Beatles、The Yardbirds、The Kinks、The Rolling Stones、The Who などに興味を持っているプレイヤーを捜すのが難しかったかららしい。その後、バンド名は Uncle Joe に変わった。なんでも、メンバーの1人の父親が働く会社のボスの名が Joe で、ある日、会社のピクニックに自分の顔をプリントしたTシャツを着てきて、社員にもそのシャツを配ったそうだ。バンド・メンバーはそれが面白く、ステージで全員がそのシャツを着たことから付けられた名前とのこと。 Uncle Joeでは、1970年にニューヨークのMayfairスタジオで“Stop, Look To Listen” が録音されている。若さ溢れるポールが歌うこの曲はKISSのBOX SETに収録され、2001年に公開されている。

15歳の当時に参加したバンド POST WAR BABY BOOM は、スタジオでデモ・レコーディングを行うこととなり “Never Loving, Never Living” という曲が録音された。しかし、このプロジェクトはうまく行かず、ポールは更にいい曲を作ろうと作曲に意欲を燃やす。当時、作られた曲には、KISSとしてレコーディングされることになる “Firehouse” や “Let Me Know(当時のタイトルはSunday Driver)” が含まれていた。

ポールの興味は音楽だけではなく、芸術にも向けられていた。マンハッタン・ハイスクール・オブ・ミュージック・アンド・アートを卒業し、ブロンクス・コミュニティ・カレッジに芸術専攻で進学する。その頃には、両親の希望もあり、コマーシャル・アーティストの道へ進むことを真剣に考えていた。しかし、スケジュールに追われながらの仕事ではいい作品は産まれないという思いから徐々に芸術への興味を失い、音楽への傾倒を深めて行く。

1969年、17歳の時に Tree というバンドを結成し、Stephen Coronel と出会う。しかし、Tree の活動は基本的にカバー・バンドであった。満足のいかないポールは、Tree の活動に納得ができず、バンドは解散してしまう。しばらく後、Stephen から自分の友人で作曲もするギター・プレイヤーに合ってみないかと誘われる。

その男こそ Gene Simmons であった。

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