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Paul Stanley

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本名:Paul Stanley
誕生日:1952年1月20日
生誕場所:ニューヨーク州クイーンズ
身長:182cm
結婚:1992年に女優のパメラ・ボウエンと結婚し、長男エヴァンを授かるが、2001年に離婚。2005年に弁護士のエリン・サットンと再婚し、コリン、サラ、エミリーの3人の子供が生まれている。

ポールは、1952年1月20日にニューヨーク州のクイーンズ(ブロンクスという説もある)で生まれる。父の名はウィリアム・アイゼン、母の名はエヴァ。ポールは元々はスタンレー・ハーヴェイ・アイゼンという名だが、現在はポール・スタンレイに改名している。

一家は、ポールが生まれて間もなくマンハッタンの北部インウッドに引越している。ポールは両親と妹と共にクラシックやオペラなどを聞きながら暮らしていた。ポールの両親は大のオペラ&クラシック・ファンで特にベートーベンの交響曲を好んで聞いていたそうだ。

成長するにつれROCKに興味を覚えるようになる。最初に影響を受けたのはエディー・コクランであった。近所の子供たちが外で遊んでいるのをよそに、毎回欠かさずAMERICAN BAND STANDを見たりラジオを聞いたりしていたという。

13歳の時にギターを弾きたいと思うようになる。当然、ポールはエレキ・ギターが欲しかったのだが、母が買ってくれたのは$16の日本製クラシック・ギターでナイロン弦が張ってあった。親の薦めでクラシック・ギターの教室に通うが、レッスンは遅々として進まず、嫌気のさしたポールは早々に教室を辞め独学で練習を始める。しかし、14歳の時に数ヶ月ほどギター教室に通いフィンガー・ピッキングの練習をした。

IMG_355215歳になり、ついに念願のエレキ・ギターを手にする。最初のギターはVOXの2ピックアップのギターであった。普通の子供達がするように、いきなりリード・ギターをするのではなく、もっぱらリズム・ギターとしてコードを弾くほうが楽しかった。この頃からバンド活動を始めるが、他のメンバーと同様に高校生の頃のバンド・キャリアについては多くを語っていない。

ポールが最初にリード・ボーカリストとして活動したバンドは3人編成で、変則的ながらベーシストがいなかった。ポールが語った理由によると、当時の近所の子供達はもっぱらアメリカのTOP40に夢中で、ポールが好きだったビートルズ、ヤードバーズ、キンクス、ストーンズ、フーなどに興味を持っているプレイヤーを捜すのが難しかったかららしい。

15歳の当時に参加したいたバンドPOST WAR BABY BOOMは、スタジオでデモ・レコーディングを行うこととなり “Never Loving, Never Living” という曲が録音された。しかし、このプロジェクトはうまく行かず、ポールは更にいい曲を作ろうと作曲に意欲を燃やす。当時、作られた曲には、KISSとしてレコーディングされることになる “Firehouse” や “Let Me Know”(当時のタイトルは “Sunday Driver” )が含まれている。

IMG_3670ポールの興味は音楽だけではなく、芸術にも向けられていた。マンハッタン・ハイスクール・オブ・ミュージック・アンド・アートを卒業し、ブロンクス・コ ミュニティ・カレッジに芸術専攻で進学する。その頃には、両親の希望もあり、コマーシャル・アーティストの道へ進むことを真剣に考えていた。しかし、スケジュールに追われながらの仕事ではいい作品は産まれないという思いから徐々に芸術への興味を失い、音楽への傾倒を深めて行く。

1969年、17歳の時に Tree というバンドを結成し、Stephen Coronel と出会う。しかし、Tree の活動は長続きせず、ポールは、Uncle Joe というバンドに移籍してしまう。Uncle Joe として数回のギグを行うが、どうも満足のいかないポールは、Stephen と再び組みたいと感じ始めていた。そんな時、Stephen からの誘いがあり、更に他に作曲もするギター・プレイヤーに合ってみないかと誘われる。その男こそジーン・シモンズであった。

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