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Eric Carr

carr本名:Paul Charles Caravello
誕生日:1950年07月12日
生誕場所:ニューヨーク州ブルックリン
身長:?
結婚:未婚

エリック・カーは、1950年7月12日にニューヨーク州ブルックリンにある Lutheran 病院で生まれる。その後、ニューヨーク州の東にあるブラウンズヴィルという街で両親と2人の姉妹と叔父一家と一緒に2世帯住宅という環境で暮らす。

中学卒業を目前にして、担任の教師がエリックの芸術的才能をもっと伸ばすべきであると両親に進言し、エリックはマンハッタン・ハイスクール・オブ・アート・アンド・デザインへと進学することになる。選考はカートゥーン。つまりマンガであった。入学当初は、マンガだけにとどまらずいろいろなものを書きまくっていたが、入学後6週間の全ての専攻科目のトライ・アウトでエリックは写真を専攻してしまった。成績はほとんど “A” か “B” であったというが、ほとんど校舎内でぶらぶらと飲んだくれていたそうだ。

エリックが学業に専念しなかった理由は、若者特有の反抗というだけではなく、もうひとつ大きな理由があった。当時のアメリカで吹き荒れたビートルズ旋風である。ビートルズを見たエリックは、リンゴ・スターに憧れた。リンゴに憧れることにより、音楽への傾倒を深めていく。エリックはそもそも左利きであったが、リンゴに憧れたが故に右利き用のドラム・セットを揃えて練習を始めた。

エリックの祖父は、ニューヨークのコニー・アイランドにある Luna Park のオーケストラに所属しており、エリックが幼い頃からトロンボーンを教えようとしていたが、エリックは一向に興味を示さなかった。最終的に音楽へ導いたのはロックであった。

最初に買ったドラムは Zigmar のスリー・ピースのセットで$75だった。しかし、なんともしょぼいセットであったために、まもなく父が Ludwig のセットを購入している。

エリックは、最初ハイ・スクールの友人と後の義理の弟とともに3人で Cellarmen という名のバンドを始めた。エリックがボーカルも担当した。Cellarmen はパーティやバーでの演奏を行い、デモ録音のためにスタジオ入りもしている。録音したのは “I Cry At Night” と “Yout Turn To Cry”。

1970年になり、エリックはジョン・ヘンダーソンとサリタ・ヘンダーソンという夫婦とともに9年間活動する。ジョンはギタリストでサリタはシンガーであった。9年の間にバンド名も何度か変わった。最初は Salt&Pepper といった。メンバーは6人で半分は白人、残りの半分は黒人であった。それがバンド名の由来であったという。主に70年代初期のヒット曲のコピーをしていた。レッド・ツェッペリン、シカゴ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、ジャニス・ジョプリンなど、なんでもありだったそうだ。

3年後にはバンド名を Creation に変えている。音楽の方もよりファンク色を濃くしていった。1974年6月30日、Creation はニューヨーク州とコネチカット州の州境にある Gulliver’s というレストランとバーを兼ねた店で演奏をしていた。その店はショッピング・センターの一番奥にあった。他にも洋服屋、床屋、ボーリングなどができるところであった。店は、1階にダイニング、バー、キッチンなどがあり、地下3階にダンス・フロアーがあった。夜中の1時を廻って演奏も半ばを過ぎた頃、店の一部から「火事だぁ!」の声があがった。地下にいた人々は煙が充満してきたことと、突然停電になったことによりパニックに陥り、出口に殺到した。エリックは数人のメンバーと共に裏口から逃げることができたが、バンドのメンバー2人を含む24人の人が犠牲となってしまった。

火事騒ぎの後、バンドは再び名前を変える Mother Nature/Father Time。エリックはこの名前が嫌いだったらしい。このバンドは5年間活動したが、当時のディスコ・ブームより Creation よりもディスコ風であった。当時からエリックはツーバスのセットを使用し、長髪でヒゲをたくわえ、ジョン・レノン風のメガネをかけた一風変ったディスコ系ドラマーだった。バンドはアルバム “DISCO SYMPHONY” をレコーディングするが、1979年ギタリストの脱退により解散に至る。

ドラマーとして週に2,3度ステージにあがってはいたが、決して生活ができる稼ぎには至らず、エリックは建築現場での仕事や、空港での積荷の仕事などを行っていた。また、ガス・レンジの修理工をしていたというのも有名である。

エリックのミュージシャンとしてのキャリアは行き詰まっていた。1979年12月、Mother Nature/Father Time の解散後に加入したバンド Flasher は初めてエリックがやりたいと思っていたロックバンドであった。彼らは、Van Halen、The Police、Tom Petty、Led Zeppelinのコピーなどをしていた。当時、エリックは30歳になろうとしていたが、ミュージシャンとしてはほとんど稼ぎが無い状態で、今後どうするべきなのかとても悩んでいた。

1980年3月、キーボードの Paul Turino が脱退する。バンドは3人になっても活動を続けていたが、脱退したメンバーである Paul の進言でエリックもバンドを去る決意をする。また、エリックは音楽活動自体を辞めようかと本気で考えていた。しかし彼はエリックに KISS がドラマーのオーディションを行うことを教えた。エリックは最初、彼の話を聞いても「そんな冗談言うな。」と思っていたが、やはり音楽の道をあきらめきれずに翌日、KISSのオーディションを受ける決心をした。

エリックは UNMASKED アルバムを購入し、裏に書いてあるオーカイン・マネージメントに連絡を取った。履歴書、写真、演奏と歌を録音したテープを送るように言われた。エリックは急いでそれらを集めたが、送付したのは締め切りの1日後、6月18日であった。遅れるのはわかっていたがエリックは完璧なものを送りたかったのだ。手書きで丁寧に履歴書を作成し、目立つようにオレンジ色のフォルダーに書類を詰めた。

オレンジ色のフォルダー作戦が功を奏したのか、KISS のマネージャーであるビル・オーカインがマンハッタンのオフィスで面接を依頼してきた。面接はうまく進み、最後にビルが5曲のオーディション用曲のリストを渡した。その際に「そのヒゲも剃って来るように」と言われた。

翌週の月曜日、午後1時30分。エリックはニューヨークの Lafayette ストリートにある Star Rehearsal スタジオにいた。エリックは緊張した。また、緊張したと同時に KISS のメンバーの素顔を見れるのかとドキドキもしていたそうだ。オーディションが進み、エリックの番が来た。スタジオに入ると巨大なツーバスのドラム・セットが目に入った。セットの前にはビデオ・カメラが据えられている。スタジオの隅の大きなテーブルには料理が並べられ、KISS のメンバーのシルエットが見えた。簡単なインタビューの後、演奏に入った。Black Diamond のボーカルは気に入られたようであった。しかし、演奏が進むうちにエリックは何かおかしいことに気づく、自分が知っている通りに KISS は演奏してくれないのだ。エリックはスタジオ録音バージョンで練習をしてきたのだが、KISS が演奏しているのはライブ・バージョンであった。演奏はたびたび中断してしまったが、エースが一言、言った。「彼が演奏しているのはスタジオ・バージョンだ。俺達もそっちで演奏しよう。そうすれば演奏が止まることはないよ。」エリックはエースに救われたのだ。 オーディションは1時間程で終わった。一旦はスタジオを後にしたエリックだが、すぐにひき返しビル・オーカインからもらったレターを差し出すと、「是非、これにサインをください!」と言ってメンバーのサインを貰ったそうだ。エリックはオーディションには受かるという強い自信とともに愛車であるダッジで会場を後にした。

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