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KISSTORY : 1980 Part1

Screen-shot-2013-12-16-at-3.45.30-AM1980年初頭、KISS はニューヨークの Record Plant studios に戻ってきた。アルバム “UNMASKED” の録音のためだ。プロデューサーには前作 “DYNASTY” と同じ Vini Poncia が起用されることとなった。この決定には、ピーターにニュー・アルバムでもドラムを叩いて貰いたいと考えてのものであったが、スタジオにピーターが現れたのはごく初期に1回だけだった。それほどにもピーターのコンディションは前年よりもさらに悪かった。そのためスタジオには再び代役のドラマーとして Anton Fig が呼ばれることとなった。その頃のエースはソロ・アルバムの成功により前にも増してクリエイティブで才能をフルに発揮させていたため、バンドとしてはエースと相性の良いドラマーの Anton Fig にスタジオ入りさせる方がサウンド的により良い物となるという期待もあったという。

unmasked“UNMASKED” は、6月14日の Billboard誌には「KISS 史上もっともラジオ向きのLPである」と紹介されている。そもそも KISS のアルバムがこのように紹介されてしまうこと自体が異常だ。STYX や JOURNEY と並ぶバンドという扱いである。この KISS 史上もっとも「安全」でラジオ向きな作品はそれまでのコアなROCKを愛するファン(特にファースト・アルバムの KISS から ALIVE! までのサウンドに心底惚れ込んで KISS を好きになったファン)の気持ちをより一層 KISS から離れさせることとなったが、一方でポップス寄りのファンをそれに変わるだけ増やすということまでには到らなかった。

“UNMASKED” では、これまで以上にメンバー間の音楽的な結びつきが希薄になっている。ポールは “TOMORROW” や “EASY AS IT SEEMS” では、自分でベースを弾いているし、エースは自身作の曲全てでベースを弾いている。また、ポール作の曲でのリード・ギターは全てポール自身が弾いてもいる。また、”SHANDI” でベースを弾いているのはポールのギター・テクだった Tom Harper だ。
Tom「ある日プロデューサーの Vini Poncia が僕にテープを渡して“明日までに練習して来い、君が明日レコーディングするんだ”って言うんだ。それで、僕がサンプルとしてレコーディングした。後日、そのテープを聞いたジーンが“そのままでいい”って言ったんだよ。だから、僕はゴールド・ディスクを獲ったレコードに参加してるんだ。」
“SHANDI” の録音はポールとドラムの Anton Fig、ベースの Tom Harper、キーボードに Holly Knight という4人で完成されている。純粋なバンドのメンバーはポール1人だけだ。
この Holly Knight という女性は、Bill Aucoin が見出したバンド Spider に在籍をしていたが、同バンドのドラマーが Anton Fig だったという関連でもある。
他に “UNMASKED” のレコーディングに参加したミュージシャンを挙げると、プロデューサーでもある Vini Poncia がキーボード、パーカッション、バック・ボーカルで参加している。

“SHANDI” の出来にポールは満足をしてはいなかった。2001年に発売された KISS の Box set の解説でもポールはこう書いている。
ポール「書いた時はすごく好きだった。その後もメロディとかはさほど変化しなかったけど、曲の性格は大きく変わった。もともと、アコースティックの12弦ギターで書いたんだ。ところが、当時の多くの楽曲がそうであったように、作業を進める中で磨かれすぎて、曲本来の“ハート”が失われてしまった。」

ジーンの曲 “NAKED CITY” のデモはアコースティックで作成されており、Studio 54にて、ポール、Bob Kulick、Peppy Castro、そしてかつて Meat Roaf に在籍していた Karla DeVitoとデモ録音されている。

“IS THAT YOU?” は、Gerald McMahon が1979年に作った曲だ。当時、Gerald McMahon は自身のレコーディングのプロデューサーを探しており、Vini Poncia にもプロモーションのテープが送られてきていた。この曲を気に入った Vini がポールに曲を紹介し、ポールも気に入ったため、KISS としてレコーディングを行うことが決まったのだった。

◆Is that you (original Gerard McMahon demo version)

“TALK TO ME” は、アメリカではシングルカットされなかったが、オーストラリア、オランダ、ドイツではシングルカットされ、TOP40にも入る人気を得た。また、ドイツではリップ・シンクではあるが、”TALK TO ME” と “SHE’S SO EUROPEAN” がスタジオ収録されてテレビ放送されている。エース作の “TALK TO ME” と “TWO SIDES OF THE COIN” の2曲だけが、プロデューサーの Vini が共同作曲者としてクレジットされていない曲である。

◆Talk to me 1980

◆She’s so European 1980

Vini Poncia がプロデュースしたことでオリジナルのデモ曲が持っていたエッジーな部分が削ぎ落とされてしまったという点は疑いはないのだが、デモ曲の多くがアコースティックで作られていたことも、そもそものアルバムの方向性を決めてしまう原因になっていたのかもしれない。
※”YOU’RE ALL THAT I WANT” のデモもアコースティックだった。

◆You’re All That I Want Demo 1980

確かに “UNMASKED” 以前にリリースされた曲にもアコースティックでデモが作られていた曲も多いが、レコーディングを通して曲が完成していく過程で、スタジオ内で多くの意見交換がメンバー間で行われ、よりハードに本来の KISS らしいサウンドに洗練されていったのだが、そのバンドとしての意見交換のプロセスが抜け落ちていたことも要因の一つと言うこができるであろう。

ジーンにしろポールにしろ、これまでの経験で十分にスタジオワークについては学んできていたし、ポールは、1979年にバンド New England のプロデュースを行っているため、Vini のプロデュースに対していくらでも口を挟むことはできたのだが、”UNMASKED” のレコーディングでは全面的に Vini に仕事を任せている。これは、前作 “DYNASTY” の影響によるところが大きい。バンドとして “DYNASTY” と同程度のレコード・セールスを期待するがために、敢えて口を出さないようにしていたと後日語っている。”UNMASKED” も商業的に成功すれば、当時契約更新の時期が近づいていた Casablanca に対するアピールにもなるのだった。しかし、結果的には “DYNASTY” のような成功を手中に収めることにはならなかったのだが…。

ジャケットのイラストを描いたのは Vivtor Stabin で、UNMASKED のタイトルにインスピレーションを得たコミック風となった。

“UNMASKED” がリリースされたのは5月20日である。エースはこう語っている「”UNMASKED” はもっとも理解できないアルバムだよ。」
シングル・カットされた “SHANDI” はプロモーション・ビデオの助けもあり、アメリカでチャートの47位を記録している。

5月18日 ピーター脱退!

20140309_024134000_iOSジーン、ポール、エース、Bill Aucoin の4人での話し合いの結果、ピーターとの契約を継続しないことが決定された。ビデオ “Shandi” の収録がピーターの KISS での最後の仕事となった。撮影後、ピーターは荷物をまとめて自宅に帰っていくこととなってしまったのだ。

“SHANDI” のビデオ撮影時の様子をピーターは後日こう振り返っている。
「あれは最悪だった。とてもハードだったよ。俺は自分に言い聞かせてんだ “こいつらと一緒にメイクをするのが今日が最後だ” ってね。ドレッシング・ルームは憂鬱で静まりかえっていた。針が落ちる音も聞こえるくらいにね。撮影はやり切った。全てが終わった後、みんなもさっさとメイクを落としてドレッシング・ルームを出て行った。あいつらがあんなに早く支度を終えるのを見たことがなかったよ。そして1人ドレッシング・ルームに残された俺は泣いてしまったのを覚えてるよ。凄く感情的になったし、辛い出来事だったんだ。」
“SHANDI” のビデオ撮影はニューヨークの Unitel Video のスタジオBで1日だけで収録が終わっている。

ピーターの脱退は当時の KISS ARMY NEWS(アメリカのファンクラブ会報)にはごくシンプルに伝えられた。「ピーター・クリスはソロ・アーティストに転向することを決めました。これはマネージャーの William Aucoin(Bill Aucoin のこと)によりアナウンスされました。ピーターの「これまでとは違う方向性の音楽を創造していきたい」という希望が認められたのです。ピーターは現在、セカンド・ソロアルバムとなる “Out Of Control” のレコーディングを行っています。」

KISS 脱退後のピーター

indexKISS 脱退後、ピーターはソロ・アルバム “Out Of Control” のレコーディングを RCA Recording Studios で行っている。プロデューサーは David Wolfert で、co-producer としてピーターの長年の親友で理解者で共同作曲者の Stan Penridge がクレジットされている。David Wolfert は作曲家として多くの映画、テレビ、CMなどの音楽を手がける一方でポップス系ミュージシャンのアルバムも多くプロデュースしていた人物である。

当時、ピーターはインタビューに応じてこう答えている、「俺は自分自身の音楽をやりたかったんだ。KISS での10年間の活動(実際は7年くらい)は俺にとっては十分な時間だったよ。もうヘビーメタル系の曲を演奏するのに疲れたんだ。俺はラブ・ソングを作るのが好きだ。演奏もストリングスやホーン、ピアノといっしょに演りたいんだ。KISS のメンバーだったことは誇りに思ってる。これからも常に KISS の4人目のメンバーでありたいと思うんだ。ちょうどビートルがいつまでもビートルであるようにね。物事は何であれ永遠には続かないものさ。」

アルバム制作用に集められた曲はどれも “BETH” や “HARD LUCK WOMAN” を好きだったファンには好まれそうな曲だった。それらは1978年~79年にピーターと Stan によって作られた曲だった。アルバムにはカバー曲の “You Better Run” も収録されているが、この曲は、1967年に Young Rascals が全米20位までヒットさせた曲のカバーだ。(その後、Pat Benatar も同曲のカバーを発表し、ヒットさせている)
また、タイトル曲の “Out Of Control” と “There’s Nothing Better” は、KISS のアルバム収録曲として用意されたものだったが、採用されずに残されていた曲である。
◆The Young Rascals – You Better Run (May 30, 1966)

アルバム・カバーは当初はピーターの素顔写真が使用される予定であったが、KISS のマネージメントからの圧力やレコード会社の意向で取りやめとなり、代わりに Todd Schorr によるグラフィック・アートが使用されている。とは言っても、アルバムリリース後にピーターは素顔で数々のメディアに露出している。
また、テレビ番組の Tom Snyder Hour にも素顔で出演し、シングル曲の “By Myself” をスタジオで歌っている。この番組がオリジナル4人の KISS メンバーの内の1人が初めて素顔でテレビに出演した番組となった。
◆PETER CRISS – First solo appearance on The Tom Snyder Tomorrow show

tacotan826-img600x450-1423656109asii7l314811980年9月9日に “Out Of Control” は Casablanca からリリースされた。だが、レコード会社からの十分な宣伝も受けられずにチャート上に現れることはほとんどなかった。シングル曲の “By Myself” もアルバムと同様な結果しか残せなかった。
シングル “By Myself” は日本とオーストリアでもリリースされている。日本盤はピクチャー・ディスクもリリースされた。

◆Peter Criss – By Myself

また、11月にテレビ放送された番組 Robert Klein Show では、「なぜバンドを脱退したのか」の質問に対してピーターはこう答えている。「KISS のヒット曲 “BETH” は俺が書いたんだ。レコーディングでは25人のオーケストラと一緒に演った。それが俺にはとても心地よかったし、うまくいったんだ。その時にね、俺はもっとこういういい曲が作れるし、レコーディングもできると思ったんだ。でも、バンドに在籍したままだったら、それができなかった。もっと曲を作りたいし、歌いたかった。それで言ったんだよ、音楽的な方向性が違うから脱退するってね。」同番組では “BETH” と “WHERE WILL THEY RUN” が演奏された。

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