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KISSTORY : 1979

dynstyeraDYNASTY

1979年はアルバム “DYNASTY / 地獄からの脱出” の制作からスタートした。
→同アルバムの制作過程については、ディスコグラフィーのページで確認してください。
DYNASTY

DYNASTYツアー

eb2058bcd4c825be8a94c75761b44883DYNASTYのレコーディング中からリリース後に行われるツアーの準備に入った。計画が開始されたのは1979年の1月だ。ある日の打ち合わせでポールがポケットから1枚の紙を出す。「みんな驚くぞ!昨日の夜に急に思いついて、忘れないように紙に書いておいたんだ。こういうセットはどうだ?」ポールが提示したのは、DYNASTYツアーのセットの元となるスケッチだった。そのスケッチでは、中央に円形のドラム台が描かれ、その左右にカーブを描いたスロープがあるという、まさにDYNASTYツアーのセットだった。メンバーとスタッフはそのスケッチを元にどのようなステージにするのか議論を重ねた。その中でジーンが「”GOD OF THUNDER” で血を吐くパフォーマンスの後で、ステージ上まで飛ぶっていうのをやりたいんだ。」と言い、エースは「ボディ全体にライトがセットされてイルミネーションみたいに光るギターを使いたいと思ってる。それにギター・ソロでは、ギターからロケットが飛び出すようにしたいんだ。」と言った。また、ピーターは、このドラム台なら前後に動くだけじゃなく、左右に回転したら、客席全体が見渡せるよ!」と興奮気味に言った。ポールはレーザー光線を使用してライティングを美しくしようと言った。この時のミーティングで、その後のステージで大事な演出(リユニオン後の21世紀まで続いた演出だ!)となるアイデアを次々と決定していった。

次に検討されたのはコスチュームだ。LOVE GUN 発表時にコスチュームは新調していたが、それからは2年近くが経っている。TV映画出演などもあり、それまでのコスチュームは飽きられている可能性がある。そのため、大胆なコスチューム変更を行うこととなった。また、このタイミングでコスチュームデザイナーも変更となっている。1973年からコスチュームデザインを担当していた Larry LeGaspi から Pete Menefee への変更だ。 Pete はそれまでの2年間のコスチューム・デザイナーとしての経験から、新コスチュームをハリウッド・スタイル(音楽業界ではなく映画業界という意味)へと変更を試みた。ジーンはアルミ製の岩に角や爪が生えたようなスタイル、エースはミラーで覆われたVネック、ピーターはグリーンの毛皮で覆われ、ポールは紫のジャケット(ステージ上ではすぐ脱げるデザイン)を着た。この時のデザインから、それまでのブラックとシルバーのみのカラーから、各ソロ・アルバムで提示したキャラクターカラーがコスチュームにも取り入れられる。ポールはパープル、ピーターはグリーン、エースはブルー、ジーンはレッドだ。

dynasty

また、セットリストには、それぞれのソロ・アルバムからの曲も演奏しようということになった。それでなくても、ステージで演奏したい人気曲は多い、またプロモーションのために DYNASTY からの曲も演奏する必要がある。そのためにセットリストの選曲は難航したが、結果的に決定したセットリストはこうなった。

1. KING OF THE NIGHT TIME WORLD
2. RADIOACTIVE
3. MOVE ON
4. CALLING DR. LOVE
5. FIREHOUSE
6. NEW YORK GROOVE
7. I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU
8. LOVE GUN
9. 2,000 MAN ~ GUITAR SOLO
10. TOSSIN’ AND TURNIN’
11. BASS SOLO ~ GOD OF THUNDER ~ DRUM SOLO
12. SHOUT IT OUT LOUD
13. BLACK DIAMOND
14. DETROIT ROCK CITY
15. BETH
16. ROCK AND ROLL ALL NITE

1979年5月下旬から、Long Island でツアーのリハーサルを行っている。このリハーサルは6月11日の Orlando での最終リハまで続いた。最終的に DYNASTY ツアーでステージセットを運搬するにはトラック10台が必要となることがわかった。

1979年6月15日より、DYNASTYツアーは、フロリダ州 Lakeland の Civic Center から開始される。1年以上ぶりのツアーだ、多くの観客が KISS の再始動を待っているはず、宣伝には大々的に「Return of KISS」という文言が使われ、テレビやラジオでも広告された。

16c9a81233f07f262086dc6b4b89ba86結果としては、KISS 側が期待していた『連日超満員』というツアーにはならなかった。(元々のツアー初日は6月15日より前に予定されていたのだが、チケット売り上げの悪さからキャンセルされたほどだ。この6月14日は最終のドレス・リハーサルとなった。)理由は、ディスコ全盛の時代にハードロックバンドのツアーには観客も足が向かなかったのだ。また、”I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU” を聴いた後で、それまでのピュアなロックが好きだった頑固なファン連中も「KISSは彼らのROCKなルーツを失ってしまった」と考えて離れてしまい、他のアーティストのコンサートへ足が向いてしまったとも言われている。(もちろん、”I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU” を聴いて KISS のファンになった連中もいただろう。でも、それは離れてしまったファンに比べれば少数だったのだ)

250bed61be034282487a96459138071aDYNASTYツアーは費用面での負担も大きかった。新しいセットは仕掛けが多い分、組み上げるのにもばらすのにも手間がかかる(17時間必要だったらしい)、そのため、以前のように「翌日は次の都市でコンサート」というスケジュールを組めなくなった。少なくとも中1日~2日必要だ。また、同じ都市での連日コンサートが行われるほどチケット・セールスが良くはなかったのだ。チケット・セールスの落ち込みは、KISS に限った話ではない。1970年台中期にスタジアム・ロックとして大きな会場を満員にしていた Aerosmith や Ted Nugent も同様な苦しみを味わっている。
※一説には、公演一回にかかる費用が1億円を超えたらしい。

※DYNASTYツアーのオープニング・アクトは、New England(ポールがプロデュースを担当したバンド)、Judas Priest、Pearl Harbor and The Rockets、John Cougar & The Zone などが勤めた。

※1979年7月7日のメリーランド州 Largo のショーはテレビ局の HBO が収録し、およそ1ヶ月後に放送されている。この日の映像は2007年に発売された KISSOLOGY DVD の Vol.2 にボーナス収録された。

Maryland州 Largo公演 1979年7月7日

※オープニングのMCが「The Hottest Band in The World」ではなく「The Greatest Band in The World」になっているのが聴き取れる。

returnofkiss※DYNASTYツアー初期のツアーパンフは “The Return of KISS” バージョンと言われレア・アイテムとなっている(コンディションの良い物なら10万円以上の値が付くほど)。表紙にはマンハッタンのビル群をバックに4人のメンバーの写真が印刷されている。その後、DYNASTYのアルバム・ジャケットと同じ写真が表紙に採用されている。

10月には有名な Tom Snyder Halloween Show というTV番組に出演している。この時、エースはすっかり酔っ払っていて、甲高い笑い声と独特なユーモアですっかり番組の中心になってしまっている。ジーンとポールはなんとかアルバムやツアーのプロモーションに話を戻したいとするものの、エースのジョークに笑わされてしまう。進行役の Tom Snyder もジーンを紹介する時に「ベース担当のジョージです」と間違えてしまい、それが更にエースのテンションを上げてしまうこととなった。この時の映像も2007年の KISSOLOGY に収められているので確認して頂きたい。この番組でピーターは自分の銃コレクションの話をするのだが、ジーンはその話にすっかり機嫌を悪くする。当時は KISS ファンには多くの子供たちがいたのだが、憧れのヒーローが銃をコレクションしているということがイメージに合わないことを嫌ったのだ。

Tom Snyder Halloween Show


※11分程度に編集された字幕付きバージョン

※1979年12月にはアメリカでTV放送された “KISS Meets the Phantom of the park” が “KISS Attack of the Phantoms” にタイトルを変え、世界各地で映画館上映されている。日本では、応募/抽選制でいくつかの会場で上映された。

264d1a326204d90ca86a6e8707dc015fおよそ6ヶ月に及ぶ全米ツアーは、12月6日にオハイオ州 Toledo の公演でいったん終了する。(この日のライブがリユニオン前のピーターの最後のライブになってしまった。)DYNASTYツアーは、メンバーの精神面でも負担が大きかった。ピーターは肉体的にも良い状態ではなく、何回かはドラッグ摂取後の状態でステージに上がっている。観客の目から見ても普通ではない状態であることが見て取れた。

ツアーは成功とは言えない状況ではあったが、アルバム・セールス的に “DYNASTY” は半年で200万枚以上を売り上げる結果となり、メンバーもその結果には満足をしていた。

また、1979年はマーチャンダイズ製品の売上もピークとなり、アルバムやツアーも含めて117億円近くのセールスとなった。奇しくもピーターが「KISS は音楽からどんどん離れていく」と言っていた通りの結果となった。マーチャンダイズを扱う会社も1500社に達していた。TVでも音楽のことよりマーチャンダイズ商品の話題が扱われることが多くなっていた。1979年の夏にAucoinマネージメントはオハイオ州の Cincinnati に196エイカーの土地(東京ドーム17個分、東京ディズニーランドの約1.5倍)を購入していて、KISS のアミューズメントパークを作る計画だった。

全米ツアーの次はヨーロッパと日本、オーストラリアへツアーという予定になっており、イギリスでは1980年夏にウェンブリーでの公演予定まであり、1980年4月17日にチケットまで発売された。だが、ここでレコード契約の話が出てくる。ちょうど、この時期はCasablancaと契約延長の交渉中であり、現在の契約内容を全うするには、もう1枚のアルバム製作が必要ということになった。そのため、ヨーロッパツアーはいったんキャンセルすることとなり、KISS は再びスタジオ入りすることとなる。そう、”UNMASKED” である。

※1979年のTV出演から



※ショーのセットアップに関するドキュメント

※米ABCテレビのマーチャンダイスの拡大に関するドキュメント

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