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KISSTORY : 1978

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1月7日に “ALIVE II” はチャートのTOP10入りをし7位となっている。
その後、”ALIVE II” ツアーは2月3日のロードアイランドでのショーで幕を閉じることとなった。


1978年1月10日にアメリカのテレビで放送された映像「Land of Hype and Glory」より

2月にリリースされた “ALIVE II” からのセカンド・シングル “ROCKET RIDE” (B面は “TOMORROW AND TONIGHT” のライブバージョン)は、Billboard のシングルチャートで39位を獲得した。この結果にエースも喜び、「KISS を離れても自分はやっていけるのではないか」と思わせる火種になったのではないかとも推察できる。

2月上旬に KISS はニューヨークの Electric Lady Studios に戻ってきた。リリース予定の2枚組ベストアルバム “DOUBLE PLATINUM” 収録用に “STRUTTER” を再レコーディングするのが目的だった。しかし、この録音は計画段階から間違っていた。Casablanca Records の社長 Neil Bogart は同アルバムのプロデューサーである Sean Delaney に同曲を当時流行の兆しが見えていたディスコ調にしろと命じていたのだ。ポール自身も「あの再レコーディングバージョンの “STRUTTER” はクソだ!俺たちにはオリジナルを再レコーディングする必要なんてなんにもなかった。何も置き換える必要なんてなかったんだよ。」と語っている。まぁ、ディスコ調というほどの大きな変更もなかったし、KISS が古い曲を再レコーディングするというのは以降にもあるのだけれども…

◆Kiss – Strutter ’78

kissorgnl243月15日に日本限定発売である “The Originals II / 続・地獄の全貌” がリリースされた。このアルバムは2度目の来日公演に向けた記念盤であり、これまで KISS の曲をあまり聴いたことがなかったファンに向けて購入し易いパッケージで再発売したもので、”DESTROYER”、”ROCK AND ROLL OVER”、”LOVE GUN” のスタジオアルバム3枚をセットにしたものだった。”The Originals II” にはおまけとして紙製のメンバーのお面、8ページのカラー・ブックレットが付属していた。

3月末には2回目の来日を果たし、武道館5夜公演という記録を残している。この記録は The Beatles と並ぶ数字であった。

セットリスト
1. I STOLE YOUR LOVE
2. KING OF THE NIGHT TIME WORLD
3. LADIES ROOM
4. FIREHOUSE
5. LOVE GUN
6. LET ME GO ROCK’N ROLL
7. MAKIN’ LOVE
8. CHRISTINE SIXTEEN
9. SHOCK ME ~ Ace Solo
10. I WANT YOU
11. CALLING DR.LOVE
12. SHOUT IT OUT LOUD
13. Gene Solo ~ GOD OF THUNDER ~ Peter Solo
14. ROCK AND ROLL ALL NITE
15. DETROIT ROCK CITY
16. BETH
17. BLACK DIAMOND

◆KISS – March 28th 1978 Tokyo Japan

来日の少し前頃からジーンはシンガー兼女優の Cher との付き合いを始めている。ジーンのソロ・アルバムの録音はイギリスの古い城を使って行われていたが、その城には Cher と彼女の子供たちも一緒に滞在をしていた。

4月24日にベスト・アルバム “DOUBLE PLATINUM” はリリースされた。Billboard の最高位は22位、24週間チャートにいた。シングル盤 “STRUTTER ’78 / SHOCK ME” もリリースされたが、チャートの上位に食い込むことはできなかった。

シングルバージョンの “STRUTTER ’78” はアルバム収録バージョンと異なっている。30秒もの短縮がなされ、エコー処理もよりディスコを意識した深いエコーとなっている。Bサイドに収録された “SHOCK ME” も実はリマスターがされている。それなのになぜアルバムには収録されなかったのかは謎だ。

◆KISS Strutter ’78 – Single Ver

この2度目の来日後、KISSから衝撃のアナウンスがあった。それは「KISS は今後18か月間ツアー活動を休止する」というものだった。1973年から約4年半の間、ほぼ休むことなくライブを行ってきた KISS は名実共にライブ・バンドとしての地位を確立してきたため、ライブ活動休止のアナウンスは世界中を駆け回った。(実際、日本公演の後に行われたライブは1979年の6月である)

この1978年には KISS としてのアルバム制作以外にいくつかのことが行われている。順を追って確認していこう。

まず、メンバー間で行われたのは、4年半ずっと顔を突き合わせて来たのだから、少し個人の時間を持とうということだった。それはそういう気になるのもわかる。なにしろ4年半もの間、仕事も寝食もツアーでほぼ共にしてきたんだ。更にアーティストであるという仕事なのだから、個人間のエゴのぶつかりも少なからずあった(これまでの KISSORY の中でもたびたび記載してきた)のだから、離れて冷静になる期間が必要だった。今後何年間もバンドを健康な状態で保っていくのには必要なブレイクだと思われていたのだった。

stacks_image_822また、KISS の場合はバンドとしての音楽活動の停止はすぐに収入減にはならなかった。1978年にはマーケットに KISS の関連商品が溢れかえっていた。マーチャンダイズ商品の売り上げだけで十分に生活を潤す金額がメンバーにはもたらされていた。

3月から4月頃になるとメンバー全員がソロ・アルバムの制作に着手していた。ソロ・アルバムの制作は1978年に急に決まった話ではない。1976年に Casablanca との契約が延長された際にはすでに契約に含まれていた。契約内容はこうだったと言われている。
「1977年1月から1979年6月までに5枚のスタジオ録音アルバムをリリース。ただし、ソロ・アルバムは2枚で上記の1枚分とカウントする。」
このようにソロ・アルバム制作が確定していたわけではないが、バンド内で性格上の亀裂が生じ始めていると見えた1978年に着手するのは最高のタイミングであったと言えるだろう。

ソロ・アルバムのレコーディングに関する詳細は Discography のページでご確認ください。
Ace Frehley
Peter Criss
Gene Simmons
Paul Stanley

meetthephantom5月にはTV用映画 “KISS Meets The Phantom Of The Park” の撮影をカリフォルニア州の遊園地 Magic Mountain で行っている。Magic Mountain は1971年に設立された遊園地で木製のコース上を走るローラーコースターが有名だった。(※2014年に一部の木製コースで火災が発生しニュースになっている)現在でも継続して開園しているが、ディズニーランドやユニバーサルスタジオの人気の影で日本ではマイナーな遊園地だ。だが、KISS ファンなら一度は訪れたい場所ではある。
Magic Mountain の他にハリウッドでもロケが行われた。撮影期間はおよそ5週間で、6月には終了した。
“KISS Meets The Phantom Of The Park” は、2006年にリリースされた DVD ”KISSOLOGY Volume Two” にもヨーロッパ版が収録されているため、多くのファンが目にしていると思うが、悪の科学者が支配する遊園地で行方不明になった恋人を探すため、主人公の女性が KISS に助けを求めるという勧善懲悪のストーリー。科学者により作られた Eveil KISS と正義の KISS の格闘が最大の見せ場となっている。また、Eveil KISS が劇中で “RIP AND DESTROY” という曲を演奏するが、この曲は “HOTTER THAN HELL” の別歌詞バージョンで、ポールが撮影の待ち時間に15分で作詞したと言っている。また、劇中の KISS は、1977年に発売された KISS コミックと同じような設定で、それぞれがスーパーパワーを持つヒーローとしての役になっている。

◆KISS Meets The Phantom Of The Park Revisited
ポールとジーンによる解説入りビデオ

◆Rip & Destroy – Fake Kiss

※珍しくこの映像でジーンがGibson Thunderbird Bass を使っている。

同映画にはアコースティック・バージョンの “BETH” も収録されている。ただ、ピーターも再録音した記憶がないと証言しているため、新たに録音されたわけではなくオリジナルのピーターの歌に演奏だけが差し替えられたものだ。この映画内でエースが発した一言 “Ack!” は未だにエースファンは大好きなシーンだ!エースのセリフは非常に少ないが、理由は脚本執筆段階でエースが脚本家に対して非協力的だったためで、元の案ではもっと各メンバーの個性をアピールする予定であったのだが、それがうまくいかなかった結果である。ピーターについても交通事故の影響やソロ・アルバム制作に夢中であったためにアフレコのスタジオに現れず、声優の Norman Alden が代役でセリフを吹き込んでいる。

◆Kiss – Beth

その頃のピーターと言えば、最初の妻である Lydia との仲が崩壊寸前であり、精神的にもあまり芳しい状態ではなかった。当時付き合っていた女性と家にいる時に喧嘩となり、家にあったギターを振り回して暴れるという事件があった。この事件の際にピーターは当時のツアー・マネージャーであった Fritz Postlethwaite に電話をし「弁護士を急いで呼んでくれ!俺は人を殺してしまった!」と叫んだという。

当時のピーターは肉体的にも精神的にも不安定な状態であったと言える。後のインタビューでピーター自身が話している。「1978年にオレたちは “KISS Meets The Phantom of the park” という映画の撮影をしたんだ。撮影現場では多くの人間がオレたちの周りで働いていた。でも、オレはその中で、KISS としてのキャリアが成功した(映画を撮影するまでになった)という喜びと同時に強い違和感を感じていたんだ。この周りにいる連中は何なんだ?!オレたちは音楽をやるバンドなんだ、なんでこんな連中の中にいるんだ。もっと音楽のことを考えて行動しなきゃいけないんじゃないか」あまりにもBIGな存在になってしまった KISS には音楽以外にもいろいろな仕事依頼が来ていた。ピーターには、それらに対する焦りや不安が蓄積し始めていた。また、1978年にピーターは交通事故に会っている。当時のロードマネージャーが運転するポルシェ928の助手席に乗っていたピーターは衝撃で車外に飛び出してしまうほどの事故に会い、顔面などに怪我をし手術を受けている。この怪我による肉体的なダメージから精神的にも支障をきたしていたと思われる。

1977年に映画 “STAR WARS” が世界的に大ヒットした後、映画にとって特殊効果は切っても切れないものになっていた。”KISS Meets The Phantom Of The Park” でもポールが目からレーザー光線を出すシーンなどがあるが、1978年当時としても予算的にお粗末な特撮でしかなかった。
それでもポールは目からレーザー光線を発射するというアイデアを気に入り、次の KISS のツアーではステージ上で実際にレーザー光線を出す演出をしたいと望んだが、当時の技術では目の周囲でレーザー光線を発するというのはあまりにも危険であったために断念している。

TV用と言っても映画の撮影には変わりない。主役である KISS のメンバーでも自分たちが登場するシーンとシーンの間には4時間や5時間も待たされることがあった。エースにはその待ち時間が苦痛でしょうがなかった。ヒマを持て余したエースはミニ・バイクで遊園地内を走り回り、衝突事故を起こしてしまったりもした。

5月9日には10,000人のファンを集めて映画撮影用の無料コンサートを Magic Mountain 内の特設ステージで行っている。映画内でも演奏シーンとして使用されている “SHOUT IT OUT LOUD”、”BETH”、”GOD OF THUNDER”、”ROCK AND ROLL ALL NITE” などが演奏された。

ポールは自伝「Face The Music」の中で、この映画についてこんな風に書いている。
『演技についてはバンドのメンバーは全く無知に等しかったし、誰も脚本を読んでいなかった。俺たちにはどうでもよかったんだ。
映画が完成し、俺達はシアターで試写を視た。テレビの画面であの映画を視て酷いもんだと思うなら、映画館のでかいスクリーンで視てみるべきだね!みんな、笑いを隠そうともしなかったよ。俺は自分の椅子に隠れるように座っていた。あれは屈辱的だった。完成した映画は最悪だった。』

ポールの落ち込んだ気持ちとは対照的にジーンはこの映画撮影で多くのことを吸収し、ハリウッドの映画界進出への入り口にしようと企んでいたと言われている。

10月28日に同映画はアメリカのテレビ局 NBC の “Saturday Night At The Movies” で初めて放送された。テレビ映画としての視聴率は好調だった。しかし、ポールの発言が全てを語っているとおり、この映画を映画館で封切るという当初の目論見はやめることにして正解だった。

この “KISS Meets The Phantom Of The Park” について日本のファンはというと、MUSIC LIFE などの雑誌では撮影風景などの写真を見ることはできたが、テレビでの放送も映画館での上映もなかった。ただ一握りのファンはファンクラブ主催(だったと記憶するのだが…)の上映会で観ることができたのだが、それ以外のファンは後年になって輸入されたビデオテープか、海賊盤でしか観ることができなかった。

1978年について特筆しておきたいことのもう一つにマーチャンダイズのことがある。この年、KISS のマーチャンダイズ売り上げは全世界で $100 million に達したそうだ。$100 million!?そう1億ドルである。

8月には KISS コミックの第2弾が発売されている。以前発売されたコミックの内容を踏襲した続編的なストーリーだった。a1fe0f87037cd47005a956ce8e562ded
ポールは、Alessi のアルバム “DRIFTIN'” にゲスト・ミュージシャンとして参加してギターを弾いている。”YOU’RE OUT OF LOVE” という曲でニューヨークの Hit Factory スタジオで録音に参加した。

◆ALESSI feat. Paul Stanley (Kiss): You`re Out Of Love

9月に4人のソロ・アルバムがリリースされたが、まだその後の予定が決まっていなかった。ソロ・アルバムを制作し同時発売したことでメンバー間には競争心が生まれてしまっていた。
「俺のアルバムの方が売れる」「俺のシングル曲の方がチャートの上位になるはずだ」
そんな思いがバンド内には充満していた。
また、1978年の後半から売れるミュージシャンや売れるジャンルも業界を大きく2分していた。ディスコかパンクだ。KISS以外のアメリカン・スタジアム・ロック・バンド達の観客動員数も減少してきていた。
いつの世も、山を駆け登りその頂点を極めた後で向かうべき方向はただ一つということなのだろうか…

1978年来日時のツアーパンフ表紙
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