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KISSTORY : 1977 Part2

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1977年の4月 Casablanca レコード社は設立から3年経ち、年間で3,000万ドル売り上げる程にも大きく成長した。この年には映画会社も設立し、Casablanca record and Filmworks 社になっていた。所属するアーティストも KISS とドナ・サマーを筆頭に14アーティストにも増えていた。このタイミングで Casablanca の Neil Bogart は会社の50%を Polygram 社に売却することを決定している。

LOVE GUN

日本から帰国後の5月上旬に KISS は Eddie Kramer と共にスタジオに戻った。アルバム “LOVE GUN” のレコーディングを行うためだ。レコーディングに費やした期間をおよそ3週間だった。
“LOVE GUN” が KISS-CLASSIC 時代の最後のアルバムという声は多い。理由はオリジナル・メンバーであるジーン、ポール、エース、ピーターの4人だけでほとんどのレコーディングを行った最後のアルバムと言えるからだ。

アルバム “LOVE GUN” 用にピーターは “HOOLIGAN” と “LOVE BITE” の2曲を用意してきた。2曲共に旧友である Stan Penridge との共作で、デモの段階では Jazzy なムードを持っていた。”HOOLIGAN” はアルバムへ収録されたが、”LOVE BITE” は、アルバムの全体イメージに合わないという理由でレコーディングの対象にはならなかった。(すでにアルバム・タイトルに決まっていた “LOVE GUN” と曲名も類似していたのも悪かった。)この2曲は、ピーターと Stan Penridge の2人によるスタジオ・セッションから生まれたと Stan は語っている。
Stan 「ピーターと2人でスタジオに入ったんだ。彼が自分のガキの時分の話を始めたんだよ。彼のおばあちゃんが彼のことを Hooligan って呼ぶとかっていう話だった。そこで2人でまずはリズム・トラックを作り始めたんだ。私がギターとベースを弾き、ピーターはドラムを叩きながら歌い始めた。いい感じだったよ。その晩のうちに2人で2曲のデモを作ったんだ。」

◆KISS – Hooligan (Love Gun demo 1977)

◆Peter Criss-Love Bite

ジーンは当初3曲のデモを用意した。”CHRISTINE SIXTEEN”、”HAVE LOVE WILL TRAVEL”(後に “GOT LOVE FOR SALE” に変更された)、”TUNNEL OF LOVE”だ。この3曲はロサンゼルスで当時はまだ無名だったアレックスとエディの Van Halen 兄弟とデモ録音がされている。
ジーン「それ以前は1人でスタジオに入って全ての楽器を自分で演奏していたんだ。だけど “LOVE GUN” の時は Van Halen 兄弟に電話してデモ録音を手伝って欲しいって言ったんだよ。3人でスタジオに入ってライブ録音した。”CHRISTINE SIXTEEN” のデモでエディが弾いてくれたギター・ソロがすごく良かったんだ。だから、”LOVE GUN” のアルバムでエースがソロを弾いた時はエディと同じように弾いて欲しいとリクエストしたんだ。実際、エースはそうしてくれたよ。」
ファンならどうしても聴きたいデモ音源だが、いまだに流出はしていないのが残念…。

“CHRISTINE SIXTEEN” については、こんな話がある。当初、曲のタイトル候補として “CHRISTINE SIXTEEN” というアイデアを持っていたのはポールだった。それを知っていたジーンがあえて同タイトルの曲を作ったのだ。というのも、”BLACK DIAMOND” というタイトルがその逆パターンで、ジーンのアイデアをポールがちゃっかり使ってしまったことの仕返しだと言われている。当初は歌詞がもっとエロティックな内容であったが、レコーディング中にマイルドにリファインされてしまった。また、この曲でサイドギターとピアノを弾いているのはジーン自身である。
ジーン「当初キーボードかピアノのパートを加えたいと言った時はみんなに反対されたよ。でも、実際に入れてみると誰も文句は言わなかった。

ポールが持ち込んだ “LOVE GUN” のデモはほぼ完璧なバージョンだった。既に女性コーラスまで録音されていたのだ。デモでドラムを叩いていたのは、 The Planets の Steve Korff だった。Sean Delaney も作曲には加わっていると本人が語っているが、ポールに「クレジットには載せないよ。」と言われたと後日のインタビューで語っている。”LOVE GUN” の歌詞について、実はとても似通ったものがある。Albert King が1967年にレコーディングした “The Hunter” だ。(メロディは全然別の曲だけど…)
“The Hunter” の歌詞はこうだ。「I got my love gun loaded / Loaded with a-huggin’ and kissin’ / And when I pull the trigger / There ain’t gonna be no missin’ / Ain’t no use to hide / No there ain’t no use to run / Cause I got you in thi sights of my … / My love gun, my love gun, my love gun.”」
たまたま同じ感性で詩を書いたのか、ポールがちゃっかり利用させてもらったのか、真実は不明なままだ。
また、不思議な繋がりで、プロデューサーの Eddie Kramer は、1968年に Blue Cheer のアルバム “Outside Inside” にエンジニアとして参加しており、同曲を録音をしていた。

◆Albert King – The Hunter

アルバム “LOVE GUN” でもっともファンを喜ばせたのは、エースのボーカル・デビューとなった “SHOCK ME” だ。この曲を作るきっかけとなったのは1976年12月にエースがステージ上で感電した時のことだと言われている。また、ボーカル録音時にエースは恥ずかしさを隠すためにスタジオの照明を落として床に仰向けで寝た状態で録音したと言っている。

アルバムのラストは The Crystals のカバー曲である “THE SHE KISSED ME” で締めくくられているが、本当にこの曲の録音とリリースは必要だったんだろうか?The Crystals は女性ボーカル・グループだったため、オリジナルのタイトルは “THEN HE KISSED ME” で、1963年にリリースされている。

◆The Crystals – Then He Kissed Me – New Stereo Remix

レコーディング期間中にプロデューサーの Eddie Kramer からポールに対して、「何かポールの曲をピーターが歌うというのもアルバムに入れても良いんじゃないか?」との提案があったが、ポールはそれを拒否している。Eddie とすれば “HARD LUCK WOMAN” の第2弾となるような曲が必要ではないかと考えての提案だったと考えられるが、既にバンドの中ではエゴのぶつかり合いが始まっていて、ポールでさえもアルバム全体の作品よりも自己顕示欲を優先させたいと判断するようになっていたと言える。実際、”TOMORROW AND TONIGHT” 辺りをピーターが歌っても雰囲気は合っていたと思える。

img_0完成したニュー・アルバム “LOVE GUN” アルバム・カバーの絵は、DESTROYER と同じ Ken Kelly によって描かれている。全体のデザインは Dennis Woloch によって行われている。

アルバム “LOVE GUN” は、6月17日にリリースされた。あっという間にチャートを駆け上り1ヶ月の内に4位を獲得するほどだった。この時、チャート上には他にも3枚のアルバム(”ALIVE!” 152位、”DESTROYER” 129位、”ROCK AND ROLL OVER” 89位)がチャートインしていた。その中での4位獲得は当時の KISS がアメリカでどれだけ人気があったのかを物語っている。

同じ6月にはシングル盤 “CHRISTINE SIXTEEN / SHOCK ME” もリリースされたが、こちらはシングル・チャートの25位を記録するに留まった。(チャートには12週間留まっていた。)続いて、9月にはセカンド・シングルとして “LOVE GUN / HOOLIGAN” がリリースされたが、こちらは歌詞がセクシャルであったためにラジオ局でのオンエアが少なく、最高位61位で、たった7週間しかチャートに留まることができずに終わっている。面白いことに “LOVE GUN” からリリースされたシングルはA面/B面の曲を並べて見ると4人のメンバーのそれぞれが持ち込んだ曲、それぞれが歌う曲が1曲ずつ並んでいるようになっていた。

7467c7316215f04b553434b6cc2905f06月30日には KISS が始めて主役となるコミック・ブック Marvel Super Specials KISS が発売された。このコミックはコミック専門出版社である Mravel 社でも大ヒットしたコミックの1冊であると言われている。作者はハワード・ザ・ダックの作者としても有名な Steve Gerber で、Aucoin Management の Sean Delaney がストーリーやメンバーのキャラクター作りを手伝っている。実は KISS コミックが発売される前に作者の Steve Gerber はハワード・ザ・ダックの中に KISS を登場させているのだが、それが KISS が始めてコミックに登場したシーンだと言われている。

ツアー開始の前日である7月7日に行われたリハーサルで始めて Vega 社が開発したギターとベースのワイヤレスシステムを使用した。前年12月にエースがステージ上で感電するという事故があってから使用が検討されていたシステムが実用される日が来たのだ。当時開発された Vega 社のワイヤレスシステムは現在でこそ多くのアーティストがライブステージで使用しているが、このシステムを初めて実用としたのが KISS と ELO である。

1c1760aba825587d0fd6385bb009cc587月8日から KISS は、”1977 Can-Am” ツアーをカナダの Halifax からスタートさせる。3月から4月の日本公演に持ち込んだステージセットの北米でのデビューだ!さらに日本公演にはなかったライザー機能が加えられていた。ショーの途中、ポール側とジーン側のステージの一部分がステージから7~8mの高さまで上がるという演出だ。オープニング曲もそれまでの定番だった “DETROIT ROCK CITY” から “I STOLE YOUR LOVE” へと変更になった。(ツアー当初は “DETROIT ROCK CITY” だったが、途中から変更されている)また、コスチュームもアルバム “LOVE GUN” のジャケットデザインと同様なものに変更された。ジーンはそれまでの鎧プロテクターを脱いだが、より全身がメタリックな感じとなり、エースはよりシルバー部分が増えた。ポールはスパンコールのジャケットを着こみ、ピーターはシルバーのベルトを上半身でクロスさせるガン・ベルト風のデザインだ。作成したのは Maria Contessa と Laurie Greenan の2人で、ツアー用に3セット用意された。

“1977 Can-Am” ツアーのオープニングアクトは Cheap Trick が務めていた。

◆KISS – Live At The Summit – Love Gun Tour ’77

“1977 Can-Am” ツアーは8月2日まではカナダでのツアーだったが、数日のオフがあった際にエースがスタッフに「ベガスに行こう!」と言い出した。エースの考えで彼らはリッチなカウボーイを装うためにブーツとシャツとハットを買い込み、着替えたうえでカナダから飛行機でラスベガスへ移動してカジノやパーティーを楽しんでいた。
8月13日のショーではちょっとしたミスがあった。この日のショーから終演後に会場に流れる音楽を The Beatles の “Magical Mystery Tour” に変更する予定でカセットテープが用意されていたが、スタッフの間違いで “BETH” のテープと位置が変わってしまっていた。アンコールでピーターがステージに上がり、スツールに座って “BETH” を歌う準備が万端になった時に、なんと会場には “Magical Mystery Tour” が流れてしまった…

canam77この “1977 Can-Am” ツアーは大成功でほとんどの公演がソールド・アウトとなっていた。ツアー中の8月26日のロサンゼルス Forum での公演で待望の第2弾ライブ・アルバムの音源が録音された。また、数曲はその前後のリハーサル中に録音されている。そして、ツアー中の9月に KISS は再びスタジオに入り、”ALIVE II” 制作を行っている。
ポール「ある意味パターンになっていたんだ。最初にスタジオ・アルバムを3枚リリースして、次に”ALIVE!” をリリースした。だから次もスタジオ・アルバムを3枚リリースしたから、次はライブ・アルバムだなって自然に思っていたんだ。」

“ALIVE II” 用のサウンド仕上げはニューヨークの Electric Lady Studios で行われた。スタジオには上記のロサンゼルス公演での録音音源に加えて3月~4月に行われた日本公演での録音音源も持ち込まれている。また、オープニングの「You wanted the best~」のMCは、8月16日のサンフランシスコ公演の物だと言われている。このMCは、レコード上では編集がなされていて、最後の “KISS!” と叫ぶ部分はスタジオでジーンが録音したものに差し替えられた。理由は発音が悪く “PISS!” に聴こえたからだと後日ジーンが語っている。

alive2同アルバム収録用のスタジオ録音の新曲もレコーディングが行われることとなった。録音はニュージャージー州 Passaic にある Capitol Theatre というコンサート会場に機材が持ち込まれて行われている。スタジオ録音曲を “ALIVE II” に収録することとなった理由はいくつも語られている。レコード会社である Casablanca との契約上の理由や、メンバーが “ALIVE!” との収録曲の重複を避けた(そのためにレコード2枚分の曲数が足りなくなった)という理由や、ファンのためのボーナスとして新曲を追加しかったというのも理由の一つだと言われている。

KISS ファンの間で当時からの噂で「当初はカバー曲としてエルヴィス・プレスリーの “Jailhouse Rock” をレコーディングする予定だった。」というものがある。また、”ALIVE II” ではなく、 “LOVE GUN” に収録予定だったという説もある。これに対しポールは「”ALIVE II” に “Jailhouse Rock” をカバーしようなんていう話はなかったよ。レコーディングもしていないしさ。」と言っているが、ジーンは確かにプランはあったが、同1977年にエルヴィス・プレスリーがこの世を去ったために、この話は流れたと証言している。多分、ジーンの考えはスタッフには伝えられたが、ポールに伝わる前に却下されたのではないかと思われる。

rocketride新曲録音に際して、エースは自身の曲である “ROCKET RIDE” 録音時以外には姿を現さなかった。”ROCKET RIDE” は、エースと Sean Delaney により、3月~4月の来日時に作られた曲である。同曲でベースを弾いているのはエース自身であり、ジーンは参加していない。ポールとピーターはエース録音後にそれぞれの楽器演奏を加えている。エースによると当初はアルバム “LOVE GUN” 収録用として “SHOCK ME” と共に用意してあった曲だが、”LOVE GUN” 用の選曲から落ちたため、いずれはソロ・アルバムに使用しようと考えられていたそうだ。

エースが参加しなかったため、他の曲にはギタリストとして Bob Kulick が参加することになった。Bob Kulick とは、1973年のリード・ギタリスト募集/選考時にてエースに決まる直前まで「もう1人の候補者」として残されていたギタリストである。ファンの間では、Rick Delinger もギターを弾いているとの噂もあったが、Bob Kulick はエース以外のソロは全て自分であると証言している。また、Bob は、エースはまったく録音会場に姿を現さなかったわけではなく、会場内の別室でテレビを観ていることもあったとも言っている。
※Rick Delinger は、”ALIVE II” でギターを弾いているのか?この疑問を更に混迷させたのが2001年にリリースされた BOXSET だ。BOXSET では、”LARGER THAN LIFE” のギターは Rick によるものだとクレジットされたが、Rick Delinger 自身のサイトでは、”LICK IT UP” に参加したという記載はあるが、”ALIVE II” は記載されていない。古い話である上に契約上の理由などで記載できないということも考えられるが、Bob Kulick が自分が弾いたと証言している以上、真実は Bob の演奏なのかもしれない。

ポールの曲 “ALL AMERICAN MAN” は、日本に向かう前の1977年3月にポールのアパートにて Sean Delaney と Richard Gerschtain(Richard T. Bear というバンドに在籍、RCA レコード所属のアーティストだった)の3人で作られたと Sean は証言している。

cover_alive2_gatefold“ALIVE II” は、オフィシャルではロサンゼルス Forum 公演でのライブ録音とされているが、”BETH” と “I WANT YOU” については東京公演の録音が使われたと言われている。2001年の BOXSET にはサウンドチェック時に録音されたという “I WANT YOU” も収録されているが、この録音と東京公演の録音がミックスされたものが、”ALIVE II” に収録されているという説を推す声も多い。
※”ALIVE II” 収録の元となったと言われる1977年の日本公演のサウンドは、”LOST ALIVE II” や “ALIVE IIb” という名前で海賊版が発売されているが、確かに数曲は “ALIVE II” 収録のサウンドに酷似している。

“ALIVE II” の中には純粋なライブ録音ではない曲も存在している。”TOMORROW AND TONIGHT” と “HARD LUCK WOMAN” だ。この2曲は、スタジオで録音された音に歓声を重ねたものである。 “HARD LUCK WOMAN” は、1976年の末に数回ライブ演奏されたが、しっくり来ないという理由でセットリストからは落ちていた。しかし、シングル曲としてはヒットしていたため、ライブ・アルバムには加えざるを得なかった。また、”KING OF THE NIGHT TIME WORLD” は、これら2曲と同様にスタジオ録音されたものではないかと言われている。というのも、77年の日本公演や “1977 Can-Am” ツアーでは、同曲は演奏されていないからだ。ファンの中には1976年の DESTROYER ツアー中の Anaheim で録音された音源なのではないかという説もあるが、正確なところは明らかになっていない。
◆KISS – Hard Luck Woman – Live 1976 Memphis

1977年10月27日、”ALIVE II” はリリースされた。同アルバムには1973年からの写真を記載した8ページのブックレットが付けられた。このブックレットの真ん中見開きページの写真には合成のミスがあることが知られている。ポール側の右側のマイクスタンド中央から、ポールが使うギター Ibanez PS-10 のヘッド部だけがにょきと生えているのだ。(お持ちの方はチェックしてみて欲しい。)また、Tatoo シールもおまけとして添付されていた。

0aa22e11510c8da77d7b883cb5b693a7“ALIVE II” のレコードには有名なミスプリントバージョンが存在する。これはプロモーション用として初期に配布されたものだが、実際にはアルバムに未収録だった “DO YOU LOVE ME?”、”TAKE ME”、”HOOLIGAN” が収録曲として印字されている。実際にツアー中に演奏されていた曲だったために、収録曲決定前にデザイン&印刷されたジャケットがそのまま出回ってしまったものと思われる。

9月5日に終了した “1977 Can-Am” ツアーからおよそ2ヶ月後の11月15日、Oklahoma City から “ALIVE II” ツアーがスタートしている。ステージセットなどはほとんど変更がなかったが、セットリストに多少の変更があった。その変更はより “ALIVE II” の内容に近づけたセットリストだった。

1977年の終わりには Billboard誌は、1977年に3枚のプラチナム・ディスクを獲得したのは KISS とエルヴィス・プレスリーだけだったと発表している。エルヴィス・プレスリーは同年に亡くなったためテレビへの露出が多く、そのために多くのアルバムを売り上げたことは理解し易いが、そこに KISS が並ぶというのは、彼らの人気が頂点と言える程に盛り上がっていたことが伺える発表であった。

12月20日 Maryland州 Largo でのショーはビデオ録画され、KISSOLOGYに収録されている。
※Youtube上の動画は音声がミュートされてしまっている。

◆KISS – Alive II Extended TV Promo

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