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KISSTORY : 1977 Part1

20140824_015301000_iOS1976年11月にスタートした「Winter Tour 1976/77(通称、Spirit of ’76 Part II)」は、1977年になっても続いていた。

1月29日のデトロイト Cobo Hall でのショーはビデオ撮影され、KISSOLOGY にもボーナス収録されたが、いくつかのパートが欠けている。

この年の1月20日、ポールの誕生日にショーの後、ホテルに帰ったメンバーはなんと女装をしてポールのバースデー・パーティを行っている。
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1977年2月10日には、”BETH” が、People’s Coice Award を受賞している。People’s Coice Award は、1975年から制定されたもので、米テレビ局の CBS が視聴者からの投票で映画、音楽、テレビから受賞作品を決めているものだ。
People’s Coice 1977

2月18日、KISS は、ニューヨークの Madison Square Garden にてソールド・アウトのヘッドライナー・ショーを行っている。メンバー全員、この日はまさに「凱旋」の気持ちだった。

※このビデオだが、1曲目の “DETROIT ROCK CITY” の冒頭部サウンドが欠けていたために、4月の武道館公演のサウンドが合成されている。

オープニングを務めたのは Sammy Hager だった。Madison Square Garden のショーでステージに上がった Sammy Hager に対して観客からは大ブーイングが起こった。観客は早く KISS を観たくてしょうがなかったのだ。ブーイングを受け、物を投げられた Sammy は怒り、ギターを叩き壊すとパンツを下ろして “F*ck you!” とやらかして見せた。その後、ステージを降りた Sammy にジーンは「あんなことやっちゃダメだ。」と諭したそうだが、Sammy の気分は収まらず「あんたたちも F*ck you! だよ!」と返したそう。だが、それを機に Sammy とジーンの友情はそれまで以上に深まったと Sammy は語っている。

20140831_003520000_iOS2月21日にはマーベル社から発行予定の KISS Comic の初版印刷に向けて、KISS のメンバーは自分達の血を採取して赤インクに混ぜるというイベントを行っている。この時の様子は撮影され、コミック発売前の宣伝に使用された。日本版のコミック表紙にも「赤インクにはメンバーの血が…」と記載されてはいるが、日本で印刷された本には含まれているわけがない…

3月3日にはシングル盤 “CALLING DR.LOVE / TAKE ME” がアメリカでリリースされた。シングルの売上も好調でチャートの16位まで上がっている。

KISS 初来日

kiss77kyotoでは、日本での KISS の人気はどうだったのか?話を少し戻そう…

1970年代当時の日本でロックファンが最新の音楽情報を得ようとした時に頼りになるのは雑誌かラジオが中心だった。テレビでは夜中にたまに洋楽番組としてポップス系のアーティストと共に映像が見られる程度だった。日本デビューとなったのは1975年7月25日、3rdアルバムの ”DRESSED TO KILL” の発売だった。KISS が初めて雑誌 MUSIC LIFE に登場したのもその直後の1975年10月号でちょうど4thアルバムの ”Alive!” をトラックダウン中のニューヨークでのインタビューだった。グラビアでは「アメリカン・ロックの新勢力 ニューヨーク・ロック界に嵐をまきおこす キッスの悪魔的魅力」と記載されている。
関東地区では平日夕方に「ぎんざNOW」というテレビ番組があり、毎週木曜日が洋楽情報を中心に放送する日だった。当時ロック好きの中学生や高校生は早々に帰宅して来日情報などを得ていたが、KISS も同番組で取り上げられることが多く、来日に合わせて一気に人気が高まった。

当初はオーストラリアやニュージーランドも含んだツアーの予定であったのだが、コスト的な問題もあり、1977年には実現しなかった。
3月17日、機体のノーズ部分に ”The KISS Clipper” と記載された Pan Am #801 が羽田空港に着陸した。KISS のメンバーは当初からメイク姿で待ち受けるファンや各種メディアの前に登場しようと考え、機内でメイクも着替えも済ませていた。だが、入国審査をメイクのまま通ることができず(当たり前だと思うのだが…)、一度個室でメイクを落とし、審査後に再度メイクをしてファンや報道陣の前に姿を表した。コスチュームは普段のものとは違い、日本の着物を意識したものとなっていた。週末を東京の観光や買い物に充てた後の3月21日には Tokyo Hilton でプレス・カンファレンスを開催、その後全日空機で大阪に向かった。
ステージセットとして持ち込まれたのは、これまでのツアーから一新!77年の次のツアーから使用予定だったセットが日本には持ち込まれた。そのために、通常よりも念入りなリハーサルが行われている。
3月24日にいよいよ来日公演初日を大阪の厚生年金会館で行った。オープニングを受け持ったのは、日本のバンド Bow Wow だった。

77年の日本滞在時は以下の6会場で10公演が行われている。
①1977年3月24日 大阪 厚生年金会館
②1977年3月25日 大阪 厚生年金会館
③1977年3月26日 京都 京都会館
④1977年3月28日 名古屋 愛知県体育館
⑤1977年3月29日 大阪 フェスティバルホール
⑥1977年3月30日 福岡 九電体育館
⑦1977年4月01日 東京 日本武道館
⑧⑨1977年4月02日 東京 日本武道館(この日は2公演)
⑩1977年4月04日 東京 日本武道館

セットリストは全公演同じで以下の通り。
1. Detroit Rock City
2. Take Me
3. Let Me Go, Rock ‘n Roll
4. Ladies Room
5. Firehouse
6. Makin’ Love
7. I Want You
8. Cold Gin
9. Ace Solo
10. Do You Love Me
11. Nothin’ To Lose
12. Gene Solo
13. God Of Thunder (Incl Peter Solo)
14. Rock And Roll All Nite
15. Shout It Out Loud
16 .Beth
17. Black Diamond

c66bb98b2ce54d5767e1332f87dd56de3月27日には京都市内で観光とフォト・セッションが行われている。このフォト・セッションは雑誌 MUSIC LIFE が企画したものだが、その後世界中に広まり、ファンの間でも有名な写真となっている。純和風な風景の中に現れた当時の ROCK の象徴とも言える姿に世界中が興味を持ったのだった。

4月1日、いよいよロックの伝説には欠かせない会場『日本武道館』に KISS は登場した。この日は、16:00スタートと20:00スタートの2回のショーが行われ、NHK によりビデオ撮影が行われた。同時にこの日のショーは同行していた Eddie Kramer によりライブ・レコーディングもされているのだった。この録音はライブ・アルバム「ロックンロール・パーティ・イン・トーキョー」として日本だけにリリース予定であり、雑誌広告まで掲載されたのだが、諸事情によりリリースが見送られることとなってしまった。

4月4日に日本での最後のショーを終えた後、エースは帰国、ジーンは日本に残り、ポールはハワイへ行き、ピーターはリディアと共に香港、マカオを旅行し、その後ハワイでポールに合流している。

5月7日には、NHKにて4月1日のライブ映像が土曜日の夕方に日本中の家庭に向けて放送された。この放送を機に更に日本での KISS 人気が確たるものとなったのは言うまでもない。
※当日NHKには苦情の電話が殺到したそうだ。苦情の内容は「夕方の食事の時間に血を吐くパフォーマンスなんてあり得ない!」というものが多かったとか…

◆Kiss live in Nagoya [28-3-1977] – Full Show

3月28日の名古屋公演のサウンドのみフル・コンサート

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