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KISSTORY : 1976 Part1

05c319795defc6577863849687482e541976年になっても ALIVE! ツアーは続いていた。1月23日のペンシルヴァニア州でのコンサートからツアーは再開し、1月25日に Detroit の Cobo Hall で行われたショーで ALIVE! がプラチナム・レコードになったお祝いの盾をアンコール前に手渡された。
また、この日から KISS 初のツアー・ブック “KISS ON TOUR-1976″ がコンサート会場で販売されている。内容は美しいライブ写真が掲載されているが、ポールによればコンサートを観に来てくれたファンに何かライブの思い出になる物を家に持って帰って欲しかったとのことだ。

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◆1976年1月26日 Detroit のショー

3acd520291c4374ee8e4da30c794beb6翌日の1月26日には新しいコスチューム(デストロイヤー・コスチュームとして有名)を着て大型バイクに乗った写真撮影が行われている。新コスチュームは既に1月下旬には出来上がっていたわけだが、公の場に着て登場したのは7月3日だ。

ALIVE! ツアーも終わりに近づいた1976年2月29日に KISS はハワイのホノルルでショーを行っている。ショーの数日後、アロハに身を包んだポール、ジーン、エースは地元のロック・バンド Uncle Leo’s Rock’n’Roll Road Show に飛び入り出演をした。(ピーターはバーには来たが、グルーピーたちと早々にホテルに戻ってしまったそうだ。)そこで “ALL RIGHT NOW” や “BROWN SUGAR”、”JOHNNY B. GOOD”、”JUMPIN’ JACK FLASH”、”SMOKE ON THE WATER” などが演奏され、最後には “ROCK AND ROLL ALL NITE” でバーの観客たちの興奮は最高潮に達した。ジーンによればその夜が KISS のメンバーが公の場でノーメイクで演奏した初めての夜だったそうだ。

また、ハワイの海岸ではいかだ遊びをしていたポールが沖に流され、さらに大波に飲まれてよもやの溺死寸前にまでなるという恐怖体験までしている。幸いにも事態に気づいたボートレンタル店の店員が救命ボートで駆け寄り救出されている。

Destroyer/地獄の軍団

Destroyer のスタジオ・セッションを始めるにあたって、プロデューサーの Bob Ezrin は “AIN’T NONE OF YOUR BUSINESS” という曲を持ってきた。この曲は Becky Hobbs と Lew Anderson というどちらかというとカントリー系の曲を作る2人で作成された曲で、KISS によりスタジオ録音までされたがオフィシャル・リリースはされていない。録音ではピーターが歌っている。Destroyer の収録から外された理由は、KISS らしくないというものだった。
この曲は KISS としてはリリースされなかったが、その後 Detective というバンドが録音しリリースされている。

ALIVE! に続くスタジオ・アルバムは前3作品を越える内容でなければならないという思いがメンバーにもスタッフ全員にもあった。そのため、ポールとジーンはアルバム用に多種の曲を用意した。”MAD DOG”、”GOD OF THUNDER”、”GREAT EXPECTATIONS” といった曲がその中には含まれていた。 “AIN’T NONE OF YOUR BUSINESS” の他にも外部ライターによる作品を集めることとなった。その外部ライターの1人として選ばれたのが、 Kim Fowley だった。Kim Fowley といえば The Runaways を世に送り出した人物として有名だが、作曲能力にも優れる人物だった。Kim は、KISS に “KING OF THE NIGHT TIME WORLD” を提供した。この曲は Kim と Mark Anthony(Hollywood Stars というバンドでギターとボーカルを担当していた)の共作だ。Bob Ezrin は Kim/Mike のコンビに以前 Alice Cooper 用にも曲を提供してもらっていた。実際、 “KING OF THE NIGHT TIME WORLD” は KISS によくフィットしていたし、ジーンとポールも気に入った。

“DO YOU LOVE ME?” も Kim Fowley が持ち込んだ曲の1つだ。そこにポールがロックンロール・ライフをベースにした歌詞を作った。この歌詞は本当によく出来ていてポール・ファンの女の子たちの心を鷲掴みにするものだった。

外部の作曲家を起用するというのは KISS のこれまでのレコードにはなかったことだが、その結果として Destroyer はこれまでのレコードとは大きく趣きや方向性が異なるものとなったのである。

“SHOUT IT OUT LOUD” もまた他の曲とは異なる手法で作成されている。ジーンとポールが Wicked Lester に在籍していた時、彼らは Hollies の曲 “I WANNA SHOUT” をカバーしている。その歌詞の中に “shout it, shout it, shout it out loud” があった。ポールと Bob Ezrin がピアノを使っていくつかのコード進行を模索している時に、ジーンがこのコーラス部分を歌い出したのだ。その結果として作り出されたのが SHOUT IT OUT LOUD” だった。

Wicked Lester の “I WANNA SHOUT”

“GOD OF THUNDER” も他とは異なるアプローチで作曲されている。彼らのサード・アルバムである “DRESSED TO KILL” の頃から、ポールが作る曲は明るくアップテンポな物が多かったが、ジーンはよりダークで重い曲が多くなってきた。ある日、ポールが「誰でも Gene Simmons の曲は作れるさ!」と言ったことがある。そしてその翌日にポールが持ってきた曲が “GOD OF THUNDER” だった。初めてこの曲を聴いた時にジーンは怪物映画で山の頂上で大きな羽根を広げて立つ暗黒からやって来たモノのイメージが浮かんだ。そこで、少し歌詞を変えて歌ってみたところ見事にジーンのキャラクターにマッチしたのだった。ジーンによるとポールの作ってきた歌詞はほとんど愛について歌ったものだったとか…また、Bob Ezrin がエフェクトを加えることで曲のイメージを完璧なものに仕上げたのだった。同曲の中で聴かれる子どもたちの声は Bob の息子の David と Josh の声だ。おもちゃのトランシーバーを使って、子どもたちに悪魔のような声を出すように指示したそうだ。

ポールが歌っている “GOD OF THUNDER” のデモ。BOXSETやKISS 40にも収録されているので有名。

“DETROIT ROCK CITY” のことも語る必要がある。最初に作曲された時は過去のいくつかの曲のイメージが数箇所に隠れていた。”TWO TIMER” や “MUCH TOO YOUNG” だ。”MUCH TOO YOUNG” は1973年のバンド結成時に作られていた曲で、ライブでは “LOVE THEME FROM KISS” というタイトルでファースト・アルバムに収録されたインストゥルメンタル曲と合わせて1曲の “ACROBAT” として演奏されていた曲である。ポールは、まだ全米各地ではほぼ無名に等しかった当時に始めてヘッドライナーとして自分たちを迎えてくれた街 デトロイト に対するトリビュートをこの曲に込めたかった。最後は死んでしまうという恐ろしい歌詞は実際に1975年4月にノース・キャロライナの Charlotte で起きた事故をベースにしている。Bob Ezrin がイントロとエンディング部分に物語の音声部分を加えたことで、より一層歌詞のストーリーが生々しいものとなった。車のドアを開ける音、シフトノブを操作する音、エンジンをかける音なでも Bob がマイクを片手にスタジオ近くの駐車場で録音した音だ。印象的なツイン・ギターによるソロも Bob Ezrin が作曲している。

DETROIT ROCK CITY のデモ。Bob Ezrin との作業により大きくイメージを変えているのがわかる。このデモでギターを弾いているのはエースではなく当時のツアー・スタッフだと言われている。

20140621_133149000_iOS“GREAT EXPECTATIONS” についても語っておこう。この曲はそれまでの KISS の曲にはなかった曲調を持っている。元々の歌詞はジーンが KISS の他のメンバーについてを歌うものであったが、Bob によって、もっと多くの人々に向けた歌詞に変更されている。この曲はジーンが1946年に公開された同名の映画からインスパイアを受けたものだと言っている(同映画には女優の Jean Simmons も出演しているのが面白い)。コーラスとして参加したのはニューヨークの Harlem Boys Choir だった。コーラス録音時には大きなスタジオに KISS のメンバーも参加して行われている。

GREAT EXPECTATIONS のデモ。オリジナルの歌詞が歌われている。

“SWEET PAIN” は、様々なアイデアを元にスタジオ内で短時間で出来上がった曲であるが、その後の KISSTORY に大きな影響を与える曲となった。この曲でギター・ソロを弾いているのはスタジオ・ミュージシャンの Dick Wagner である。当初はエースが弾いていたのだが、Bob が後で Dick Wagner のソロに置き換えてしまったのだ。特に Bob からはエースのように弾くようにという指示もなく、Dick は曲を聴いて、自分の思うままにプレイをしたと言っている。Dick はアルバムのクレジットにも記載がされていない。こうして、”SWEET PAIN” は、エースとポール以外のギタリストによるソロが収録された始めての曲となってしまった。エースとすればこの結果は当然面白くはなかった…。

2012年にリリースされた「Destroyer Resurrected」に収録されているバージョン。こちらがエースが弾いているバージョン

“FLAMING YOUTH” は、ジーンが以前作っていたデモ “MAD DOG” をベースにして作られた曲だ。レコード・デビューする前の1973年に共にステージに上がっていたバンドのバンド名 “FLAMING YOUTH” もヒントになっていると言われている。この曲のソロもエースではないと言われている。

元となったデモ曲 “MAD DOG”

20140208_163432000_iOSピーターが “BETH” のデモを持ち込んだ時、ポールは最初はあまり好ましく思っていなかった。ポールには KISS のアルバムに収録するのはふさわしくないと考えたのだ。だが、ジーンは最初からこの曲を気に入った。当初のタイトルは “BECK” であったが、ギタリストの Jeff Beck を連想させるので “BETH” に変えたほうがいいというジーンの意見が取り入れられた。ジーンの勧めもあり、ピーターは Bob にもデモを聴かせたが、Bob ももちろん曲を気に入り、レコーディングをすることが決まった。オーケストラによるアレンジを編曲したのと指揮も Bob 自身が行っている。アコースティック・ギターを弾いているのも “SWEET PAIN” で登場した Dick Wagner だそうだ。歌詞の一部も Bob により変更された。元のコーラス部分の歌詞はこうだった。 “Won’t you wait an hour / And I’ll run right home to you / I know you love complaining / But Beck, what can I do?”
“BECK” という曲の歌詞は元々はピーターが元在籍していたバンド Chealsea のギタリスト Mike Brand が彼の妻の Becky に向けて作られたもので、Mike Brand のオリジナルの曲のイメージをベースに Chealsea が組み上げたものだ。曲のクレジットには Peter Criss と Stan Penridge と Bob Ezrin がライターとなっているが、各々がどのようにというのは不明なままだ。

LIPS による BECK

Bob Ezrin のレコーディング手法はそれまで KISS が行ってきたものとはまったく異なるものだった。Bob の中には明確な完成イメージがあったが、それがメンバーに十分に伝えられる前に様々な指示が飛び、メンバーはそれに従った。ポールによればそれはまるで新兵訓練の場のようだったという。それまでのスタジオ録音では「どうすればライブのサウンドをレコードに閉じ込めることができるか」に重点を置いていたが、Bob はまるでその考えを否定するようなものだった。録音過程では、Bobのイメージ通りになるまで、曲の一部を何度も何度も撮り直した。ジーンもポールも Bob のプロデューサーとしての考えや仕事ぶりを称賛し、その技術をスポンジのように吸収するように取り組んだ。その結果、Destroyer の録音を通してメンバーの意識や考えがプロフェッショナルとしてより高いレベルになったのは確実だ。

そんな Bob Ezrin によるリーダーシップが産んだのは、良い面ばかりではなかった。エースは Bob のやり方には納得できずモチベーションを低下させてしまっていたのも事実だ。

20131214_090040000_iOS結果として Destroyer は KISS にとって非常に重要なアルバムとなったのは間違いがない。2013年~2014年のツアーで演奏された曲を見ても Destroyer からの選曲が一番多い。”DETROIT ROCK CITY”、”KING OF THE NIGHT TIME WORLD”、”GOD OF THUNDER”、”SHOUT IT OUT LOUD”、”DO YOU LOVE ME?” そして2000年前後のピーター在籍時には毎晩 “BETH” が歌われていた。

ALIVE! の大ヒットで一躍スターダムに上り詰めた KISS だが、一方でメンバーの中に影が忍び込んでき始めていた。ピーターとエースは、周囲からの誘いや(Destroyer 収録も含めた)過度なストレスでドラッグやアルコールの過剰摂取に手を出してしまうのだった…

1976年3月1日、アルバムに先行してシングル盤 “SHOUT IT OUT LOUD” がリリースされた。レコーディングも一番最初に行われていた。曲のイメージはヒットした “ROCK AND ROLL ALL NITE” にもっとも近いため先行シングルとしてリリースがされたのだった。また2週間後の3月15日にアルバム Destroyer がリリースされた。2ヶ月後の5月15日には、アルバム・チャート11位まで上昇しており、これまでの KISS のスタジオ・アルバムと比較すると大ヒットだったと言える。だが、チャートの動きは長続きはしなかった。6月から下降を始め、8月には192位まで落ちてしまう。だが、幸いなことにシングル盤 “BETH” がヒットし、アルバムのチャートも再度上昇、最高位37位まで上がった。

8bc67edc0e0d13f9b0b9fb25f4473071DESTOYER 発売後の4月11日のインディアナ州 Fort Wayne のショーからツアーが再開された。この時はまだ ALIVE! ツアーと同じコスチュームとステージセットだった。新たにセットリストに加えられたのは、”SHOUT IT OUT LOUD”、”FLAMING YOUTH”、”GOD OF THUNDER” だった。”GOD OF THUNDER” を演奏し始めた頃にはまだ “100,000 YEARS” も演奏されていて、ジーンの血吐きやピーターのドラム・ソロは “100,000 YEARS” のパートとして残されたままだった。

4月26日に KISS がカナダのトロントでショーを行った際、ポールは空港のレストランでスタッフと昼食を取っていたが、ウィンドウの向こう側でポールを見た少年2人が騒ぎ出した。ポールも手を振ってテーブルの上に置いてあったナプキンにサインをして少年に渡したが、それを見た少年が「Queen の Freddie McMurrayだと思ったんだ!」と言った(^^;)。それを聞いたポールは、人違いの上にフレディの名前も違うと言ってスタッフと大笑いしたそうだ!

7月28日にシングル盤 “DETROIT ROCK CITY” がリリースされた。B面に収録されていたのが “BETH” だった。このB面収録だった “BETH” がラジオでのオンエア率が高まっていったのだ。この状況に対して Casablanca も8月に急遽 “BETH” をA面としてシングル盤をリリースした。これまで KISS といえばハードロック・サウンドと思っていた一般のファンに対して「KISSがバラード?!」という珍しさともちろん曲の良さもあり、シングル “BETH” は9月25に Billboard のシングル・チャートで最高位7位まで上がるヒット曲となった。もちろん KISS にとって初のTOP10シングルになったのは言うまでもない。また、1977年1月には KISS 初のシングル盤でのゴールドディスクも獲得するほどのヒットとなった。

1976年5月10日、エースは1970年から付き合っていた Jeanette Trerotola と結婚した。この時、(KISSOLOGY にも収録されているが)KISS 4人で披露宴でのセッションを行った。

初のヨーロッパツアー

76kis006エースの結婚式後 KISS は始めての海外ツアーとなるヨーロッパに向かい、5月13日にはイギリスの Manchester’s Free Trade Hall でライブを行った。

◆KISS In Britain: So It Goes – 1976

この時のヨーロッパツアーでは、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマーク、スイス、ベルギーを廻り17回のショーを約20日の間に行っている。5月30日のスウェーデンのショーでアンコールの “LET ME GO, ROCK’N ROLL” を演奏する前にポールが急にこんなことを言い出した。
ポール「オーライ!エースがみんなのために歌ってくれるぜ!」
単純にポールがエースをからかっただけだと思われるが、もちろんエースがソロで歌うことはなく、その機会1977年7月まで待たされることになった。

ALIVE! の衣装で Detroit Rock City を演奏するドイツでの映像

ヨーロッパからの帰国後に Destroyer のプロモートを兼ねたアメリカツアー、いわゆる “The Spirit of ’76” がスタートした。また、このツアーからコスチュームも一新された。ステージセットも一新され、アルバム DESTROYER のカバージャケットをコンセプトにしたものとなった。ピーターのドラムセット横には大きなネコの像が置かれている。また、ドラムの両サイドに階段が設置され両側のアンプの上にミニ・ステージが作られたのもこの時からだ。

rock_music_sets-kiss-1976-Destroyer003また、 “The Spirit of ’76” からロード・クルーのメンバーも一新された。Bill Aucoin を頂点とするマネージメント・スタッフは、これまでのステージングとこのツアーからのステージングでは規模が違いすぎるとして基本的な考えを変えてきたのだ。これまでは、ロック・バンドのツアーとしてデビュー時からのクルーが継続して働いてくれていたが、これからはステージングのプロフェッショナルに仕事を任せる必要があった。

ツアー初日となる1976年7月3日ヴァージニア州 Norfolkでのショーのセットリストは少し変わっているので紹介する。今のセットリストを知っているファンからするととても興味深い曲順だ。
Detroit Rock City
King of the Night Time World
Let Me Go, Rock ‘n Roll
Gene’s Bass solo
God of Thunder
Sweet Pain
Ace’s Guitar solo
Shout It Out Loud
Strutter
Nothin’ To Lose
Watchin’ You
Peter’s Drum solo
Do You Love Me
Flaming Youth
Deuce
Firehouse
Black Diamond
Rock And Roll All Nite

20140326_144543000_iOS8月20日に行われたカリフォルニア州 Anaheim のショーは、Eddie Kramer が呼ばれライブ・レコーディングがされているが、その音源はオフィシャルにはリリースされていない。(どのようなプランで録音がされたのかも明確にはなっていない)同日のショーをオーディエンス録音されたブートレッグ(海賊盤)が有名である。
この日のショーは43,000人の観客という KISS としても初の大観衆の前でのショーとなった。
ピーターが目の周囲をグリーンに塗るメイクを始めたのもこの日が初だと記録されている。

セットリストもこの全米ツアーから、オープニングは “DETROIT ROCK CITY”、エンディングは “ROCK AND ROLL ALL NITE” という2000年代にも続く KISS 黄金構成の基礎が構築されたと言える。

1976年8月20日 Anaheim でのショーのセットリスト
Detroit Rock City
King of the Night Time World
Let Me Go, Rock ‘n Roll
Strutter
Hotter Than Hell
Nothin’ To Lose
Cold Gin
Ace’s Guitar solo
Shout It Out Loud
Do You Love Me
Gene’s Bass solo
God of Thunder
Peter’s Drum solo ~ God of Thunder (reprise)
Rock And Roll All Nite
Deuce
Firehouse
Black Diamond

(続く)

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“GREAT EXPECTATIONS” のコーラス隊録音時の写真。ポールとエースはブーツが間に合わなかった?

KISS76.151Destroyerツアーのステージ構想時のモデル


ツアーリハーサルの様子


1976年9月3日のショーのサウンド

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