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KISSTORY : 1975 Part2

75k2KISS Army

少し時間を戻した1974年、インディアナ州の Terre Haute に Bill Starkey という少年がいた。Bill は、TV番組 “In Concert” での KISS のライブ映像を観てバンドに興味を持った。Bill の父親は地元のレコード工場で配送の仕事をしていたため比較的簡単にレコードを入手することができた。Bill は、それまで Deep Purple や Slade などのイギリスのバンドを好んで聴いていたが、父親に KISS のレコードを手に入れて欲しいとお願いをした。12月8日、インディアナ州の Evansville でのライブに Bill は弟と共に父親に連れ来て貰った。父親はレコードのみならずコンサートチケットも手に入れることができたのだ。当初は、Deep Purple のコンサートに行く予定であったが、チケットが早々に売り切れてしまったため、代わりにということで KISS のチケットを入手したのだった。彼はその日、KISS のライブ・パフォーマンスに圧倒されてしまう。それは父親も同じだった。Bill の父は普段やフランク・シナトラなどを好んで聴いていたが、KISS の圧倒的なパフォーマンスやプロフェッショナルな姿勢に感動し、3週間後の12月28日に Indianapolis で行われたライブに Bill の母親も連れだし、一家で KISS のライブを楽しんだ。

brand家に帰ると Bill は自宅の地下室に KISS に関するレコードやチケットなどを並べ、友人の Jay Evans や弟とともに地下室に学校の友人を呼んでは、KISS の凄さを語って聞かせていた。ただ、学校では、「KISS が凄いっていうけど、ラジオでは全然聴けないじゃないか!」という言葉も多く言われ落胆することもあった。そこで、彼らは地元のラジオ局に KISS の曲をオンエアするようにリクエストを送るなどしたが、地元のラジオ局ではほとんど取り上げてもらうことができなかった。Jay は、ロック以外にもミリタリーにも興味があった。そこで、自分たちを KISS Army と名乗り、地元で KISS の人気を盛り上げることをミッションと課した。本部基地はもちろん Bill の自宅の地下室だ。彼らはラジオ局にハガキを送り、電話リクエストもし、局のある建物に雑誌 Circus から切り抜いた KISS の写真を貼ったプラカードを持って訪れた。プラカードには「我々の要求を聞けないなら、恐ろしいことになるぞ」と書いていた。これでは、ペンと電話によるロックンロール・テロリストだ!彼らは近所の子供たちにメンバーと同じメイクをし、ショッピングモールをパレードしたりもした。
4ヶ月後の1975年4月22日に KISS が再びインディアナ州の Indianapolis でライブを行うこととなったが、KISS Army たちはまだ KISS のライブを観たこともない友人たちも集め、学校のホールに集まっては「KISS は凄い!なのになんでラジオでは KISS の曲が流れないんだ!?」と叫び、協力し合ってラジオ局に「もっと KISS の曲をかけろ!」と電話をし、お手製の KISS Tシャツを着てショッピングモールに出掛けたりしたが、ラジオ局は曲の半分だけを流すなどの対応しかしてはくれなかった。いよいよライブの日が近づき、チケットはソールド・アウト!Bill たち KISS Army は、地元のラジオ局の廻りを取り巻き、「KISS の曲を流せ!」と抗議行動を取ったのだった。

この話は地元の新聞でも話題となり、KISS のマネージメント会社である Rock Steady の知るところとなった。
Bill は 1975年11月に地元の Terre Haute に KISS がコンサートで訪れた際に、ショーの前のステージ上に招待され、メンバーから記念の盾を贈られている。KISS Army がオフィシャルとして認定された記念すべき日だ。
Rock Steady はこの KISS Army という言葉を気に入り、プレス発表の場などで使用することとした。その後、KISS ファンの間で KISS Army の話題は瞬く間に広がり、誰もが「KISS Army に加入したい」、「自分も KISS Army の一員だ」と口にするようになっていった。

インディアナ州の小さな町で始まった KISS Army は数十年を経て、世界中の国、人種、宗教、言語、年齢を超越して大きな一つの集団になった。他のロック・バンドにも大勢のファンがいるが、Army/軍隊を持っているバンドは KISS 以外にはいない。

KISS トリビア
74kiss10・1975年5月3日のショーで、ポールはサングラスをかけたままステージに上がっている。理由は目の伝染病を患い、目の周囲にメイクができなかったからである。

1975年3月19日から始まった “DRESSED TO KILL TOUR”(別名 KISS Spring Tour ’75)は、5月11日のボストンでのショーまで “HOTTER THAN HELL TOUR” と同じコスチューム、同じステージセットで続いていたが、”Alive!” の収録に合わせて、次の5月16日までの間に新しいコスチュームのフィッティングと写真撮影、プロモーションビデオ撮影が行われることとなった。

KISS Alive!

Casablanca と Rock Steady ともに資金面が危機的な状況に陥っていた。ある日ポールが Bill Aucoin に週ごとの報酬を $60 から $65 に上げて欲しいと話をしに行った日があった。しかし、ポールは目の前にいる Bill が穴の空いたセーター(中からテープで補強されていた)と穴の空いた靴を身に付けているのを見て、その依頼を諦めるほどだった。

Casablanca は、4枚目のアルバムはライブ・アルバムにしようと考えた。レコードのセールスは期待ほどではなかったが、コンサートは常にソールド・アウトで演奏する会場もどんどん大きな会場になっていたからだった。また、プロデューサーには Eddie Kramer が選ばれた。なんといってもデビュー前のデモで Eddie Kramer が録音したテーブの出来が素晴らしかったうえ、当時のアメリカでヘヴィーなロック・サウンドを録音させたらまず間違いがないと思われるプロデューサーだったからだ。Casablanca の社長 Neil Bogart は、Eddie に電話をし、「KISS のライブ・アルバムのプロデューサーをお願いしたい。興味はあるか?」と尋ねた。Eddie はとてもいい話だと思ったが、計画中の話もあったため、一度考える時間をくれるようにと返事をした。このもう一方の仕事というのが Boston のファースト・アルバムだった。Boston の Tom Scholz から送られてきたテープはとても素晴らしい内容だったのだ。しかし、改めてテープを聴くと完成度が高すぎて、手を入れるべき箇所が見当たらない。そこで、Eddie は Tom Scholz に電話をし、「このままリリースして問題がない。私には手を加えるべき箇所はないよ。」と伝えている。(そして、Boston のファースト・アルバムは Tom Scholz プロデュースとして発売された。)
Eddie は、すぐに Neil に電話を返し、「KISS のライブの話を受けるよ。とってもチャレンジングな仕事になりそうだ!」と返事をした。

Alive! の録音は、Detroit の Cobo Hall で全て録音されていると思われがちだが、5月16日 Cobo Hall の他にも6月21日 オハイオ州の Cleveland、7月20日 アイオワ州の Davenport、7月23日 ニュージャージー州の Wildwood で計5回行われている。

ポール「ステージ上で走り回ったり、ジャンプをしたりしているから、1回で全てを録音するというのは厳しいと思ったんだ。それによくステージでテンポが早くなることがあった。だから、複数のショーを録音して、いい物を選ぶことにしたんだよ。」
Eddie Kramer「Cobo Hall でのショーは素晴らしかった。ホールが大きいから録音されたサウンドもとても良かったんだ。」

Cobo-Hall-DetroitCobo Hall は12,500人が収容可能な大きな会場だった。KISS 以外にも多くのアーティストがこの会場でライブ・レコーディングをしている。Bob Seager “Live Bullet”、J. Geils Band “Blow Your Face Out”、Journey “Captured”、Yes “Yessongs”、The Doors “Live in Detroit” などが同会場での録音だ。

第1回目の録音が行われた5月16日 Cobo Hall でのショーは、同会場での初めてのヘッドライナーとしての出演だった。この日はショーが始まる前にPAからテープで “ROCK BOTTOM” のイントロが流された。イントロの終了に合わせてポジションに付いたメンバーが “ROCK BOTTOM” のハード・パートを演奏したのだ。おそらく1曲目に “ROCK BOTTOM” が演奏されたのは、この日が最初で最後だったのではないだろうか。

録音されたテープはすぐにニューヨークの Electric Lady Studios に持ち込まれ、Eddie Kramer による編集が行われた。ジーンが立ち会い、どのショーからどの曲を選択するかを決めていった。サウンドをよりビッグにするためにほとんどの曲はスタジオでオーバー・ダビングされている。また、複数の会場で録音されているため観客の歓声の大きさが会場により違っていた。そのため、歓声は複数回ループ録音され平準化がなされている。

Eddie Kramer「レコードにするためには数カ所の修正が必要だった。でも、それは当たり前のことだ。ステージ上であれだけのことをやっているバンドなんだから、サウンドもパーフェクトというわけにはいかないさ。誤魔化しなんかでは決してない。レコード用にアレンジしたんだよ。」
スタジオでの編集が全て済んだ時には日付は8月7日になっていた。

5月14日と15日にはミシガン州 Detroit の Michigan Palace にて KISS 初のプロモーションビデオとなる “C’MON AND LOVE ME” と “ROCK AND ROLL ALL NITE” の撮影が行われた。この時に “Firehouse”、”Black Diamond”、”100,000 Years” の演奏風景も撮影され、プロモ・ビデオの中に数カットのシーンが挿入されている。”Firehouse” 撮影時の火を吹くシーンでまたもジーンは自分の髪を燃やしてしまっている。

◆KISS – C’mon And Love Me & Rock And Roll All Nite

1601465_673515776052565_435131183181344136_nこの日、初めて Dressed To Kill / Alive! ツアーで着用する新コスチュームのお披露目となった。新しいコスチュームはニューヨークのデザイナー Moonstone によるもので、1着あたり$1,000かかった。それを各メンバーが1人3着ずつ合計で12着用意された。新しいコスチュームで Alive! のジャケット用となる写真もステージ上で撮影された。撮影したカメラマン Fin Costello は、Deep Purple の “Made in Japan” のジャケットを撮影したのと同じ人物である。Fin は以前撮影した Status Quo の写真のイメージをジャケットに持ち込もうと考え、KISS のメンバーにも同じアクションを何度も要求した。その中で撮影された写真があのジャケット写真である。
ポール「何度も同じような動きを要求されたから、”俺たちは KISS だ!Status Quo じゃないよ!” と叫んじゃったよ。でも、その中であの素晴らしい写真が撮影されたんだ。エースのギターの持ち方を見てみろよ。あんな持ち方で演奏なんてできるわけないさ(笑)」
Fin によれば、あの写真は写真技術という面では失敗だったそうだが、KISS というバンドとのそのライブの雰囲気を表すのに最高な写真だから選ばれたそうだ。

lp_-04-aliveまた、5月16日のショー開始前の観客席の写真も撮影され、ジャケットの裏写真として使用されたが、KISS ロゴとメンバーの似顔絵を書いた手書きポスターを掲げている2人 Bruce Redoute と Lee Neaves は、KISS ファンの間ですっかり有名人になってしまった。(2人のファースト・ネームを合わせると「ブルース・リー」になる。なんていうジョークもある。)実は、この手書きポスターは2014年現在でも残っているそうである。
Lee Neaves「1974年の5月に KISS のコンサートをミシガン州の Fraser で初めて観たんだ。完全に吹っ飛ばされた。これこそ自分が長年求めてたバンドだって思ったんだ。翌日学校で周囲のヤツらみんなに KISS の凄さを話したよ。”お前も絶対観に行くべきだ!” ってね。そしたら75年の5月に Cobo Hall に来るって聞いたんだ。それを聞いた時は興奮したよ。まだ15歳だったんだよね。コンサートの当日に一緒に行く予定だった Bruce と Bob Bommarito の3人で学校に寄ってあのポスターを作ったんだ」
Cobo Hall で観客席の写真も撮影するように依頼されていた Fin Costello は、会場で Bruce と Lee に声をかけられた。当時のアメリカではロックファンの間で Fin の名前を知っている者が多かった。Fin は Cream や Circus といったロック雑誌に多くの写真を掲載していたし、当日肩から下げていた大きなカメラバッグにも名前が書かれていたからだ。Lee たちは、ポスターにメンバーのサインを貰ってきてくれと頼んだが、Fin にその時間はなかった。そこで彼ら2人を立たせて観客をバックに写真を撮ってあげたのだった。
実は、Bruce も Lee も自分たちの写真が “Alive!” のバックカバーとして使われていることはレコードが発売になるまで知らなかった。レコードが発売された後で学校の友人たちから「お前たち凄いな!」「やったなぁ!」などと言われても最初は何のことかわからなかった。その日の帰宅途中に2人で地元のレコード店に行きアルバムを手にして、初めてあの写真を見たのだった。2人は大声で喜び、ハイ・ファイブをして周囲の客を驚かせてしまったという。

1975年5月16日の Cobo Hall には、Red Hot Chili Peppers のドラマー Chad Smith も会場にいた。Chad は当時13歳だった。会場でバックカバーの写真を撮影している様子も見ていたそうである。ただし、自分の席はカメラマンよりも前だったために自分はジャケットに写っていないそうである。また、ライブ後に会場の出口でメンバーが出てくるのを待ち、ノーメイクで出てきたメンバーからサインを貰っているそうだ。

alivenotes“Alive!” のジャケット・デザインは広告会社の Howard Marks Advertising 社に依頼された。担当したのは、Dennis Woloch というデザイナーで、”Alive!” から “Crazy Nights” まで担当することとなった。同社はそれまでは製品パッケージのデザインをメインに担当をしており、エンターテイメント系のデザインは初めての経験であっ た。Dennis にデザインが依頼された時にはフロントとバックの写真は決定していた。バックカバーのデザインでは、レコード各面の収録曲の表記に “ONE:, TWO:, THREE:, FOUR:” というデザインにした。意識としてはミュージシャンが曲を演奏する前のカウントを考えたという。また、ジャケットを開いた中のデザインについては、 Rock Steady 側からはメンバーからのメッセージを掲載したいと依頼を受けた。そこで Dennis は、手書きのメッセージにしたいと考え、それぞれが違う紙に違うペンでメッセージを書いて欲しいと依頼した。いかにもメンバーが空いた時間にパーソナルに ファンに向けてメッセージを書いてくれたという様子にしたかったのだ。

この頃、ポールはショーの前にローディーに「今日はどんな様子?」と毎回聞いていた。これは観客の入りはどうかという質問だったが、このツアーから「ソールド・アウトさ!」の答えが多くなり、自分たちの周りで何かが変わり始めていることに気が付いていた。

当時のアメリカでは何種類かの音楽雑誌が発売されていた。最大手は Rolling Stone誌であったが、Rolling Stone誌はあまり KISS を扱わなかった。Rolling Stone誌は自分たちの読者は、もっと音楽的に芸術性の高いものを求めていると考えていた。詩的な歌詞を歌い、アレンジに凝ったアルバムを作るアーティストを好んで記事にし、KISS のようなシンプルなロック・バンドは好意的に扱わなかった。対照的に Creem、Circus、HITPARADER といった雑誌は、今何が流行っているのか、若者が注目を集めているバンドや音楽は何かを大事にしていたため、早くから KISS に興味を持ち、記事にしてくれていた。

Jaan5月17日にペンシルバニア州の Johnstown で行われたライブでは 音楽雑誌 Creem の記者である Jaan Uhelszki がメイクをしてステージに上がっている。これは彼女から KISS に提案されたもので、最後に演奏される “ROCK AND ROLL ALL NITE” で一緒に演奏したいという取材依頼だった。KISS はこれを快諾し実現しているが、実際には Jaan が持っていたギターはアンプからの音は出ていなかった。とはいえ、KISS がステージ上でメンバー以外の人を演奏に加わらせるのは2003年に Aerosmith の Joe Perry が行う前では Jaan しか存在していない。

5月30日には Gibson社がメンバーを訪れ、エースは新しいギターを手に入れた。「自分のギターは7本になったよ。ブロンクス出身のガキには悪くない数さ」と当時エースは手紙に書いている。

5 月31日以前のライブのオープニングには、Sean Delaney が考えた「Are you ready to Rock! Are you ready to Roll! The put your two lips together and KISS!」と叫んでいた。そのオープニングに力強さを感じないと思っていたロード・クルーの J.R. Smalling が、ある日TVを観ていた時にトヨタのCMがこう言うのを聴いた「You asked for it, you got it – Toyota.」これは使えると思った彼は少しアレンジを加えて1975年5月31日のショーから、こう叫んだ「You wanted the best and You got it! The hottest band in the land KISS!」
※77年頃までは “the hottest band in the land(北アメリカ大陸を指す)” だったが、以降は、”the hottest band in the world” になっている。ALIVE! と ALIVE IIを聴き比べてみると違いがわかる。
※以前、1974年として記載していましたが、日付が1975年5月31日からであることがわかったため、転記しました。

1975年9月11日、4枚目にして初のライブ・アルバム “Alive!” はリリースされる。このアルバムが後に大きな成功を収めることはまだ誰も知らなかった。

◆Kiss – Dressed to Kill Tour – Milwaukee, WI – May 6, 1975

◆Kiss live in Tulsa [13-6-1975] – Full Show

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