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KISSTORY : 1975 Part1

kiss75セカンド・アルバム “HOTTER THAN HELL” も期待していたようなセールを得ることはできなかった。Casablanca は資金的に苦しかったが、古いポップス曲のコンピレーション・アルバムなどをリリースし、なんとか窮地は脱しているような状況だった。

Casablanca の社長である Neil Bogart は、当初から KISS に対して惜しみない投資をしてきたが、やはり早く KISS には成功をして欲しかった。そのため、サード・アルバムとなる “DRESSED TO KILL” では、ラジオ局でのヒットも見据えたレコードを作りたいと考え、自らがプロデューサーになると宣言した。だが、前2作のプロデューサーの契約を切り、資金面で厳しかった状況ではそうするより他に策がなかったというのも事実であった。

かくしてセカンド・アルバムのリリースからほんの3カ月後である1975年1月に “DRESSED TO KILL” の準備に入ることとなった。これにはポールも困惑した。何しろ新曲のストックなんて無い状況であったのだ。

録音に入る前の1月24日と25日にロサンゼルスの Larrabee Sound のスタジオに入りデモとして “ANYTHING FOR MY BABY”、”ROCK AND ROLL ALL NITE”、”BURNING UP WITH FEVER”、”MISTAKE” を録音している。”ROCK AND ROLL ALL NITE” は、このセッションの前にジーンとポールによりロサンゼルスのホテル The Continental Hyatt House で作曲されている。Neil Bogart は、サード・アルバムを録音するにあたり「KISS といえばこの曲」と言われるような代表曲が必要だと感じていた。2人は、ジーンが以前作曲していた曲 “DRIVE ME WILD” にポールがコーラス部分を足すことで  “ROCK AND ROLL ALL NITE” を作り上げた。”DRIVE ME WILD” の使われなかった部分は後に ”ROCK AND ROLLS ROYCE” というタイトルでデモ収録がされ、最終的には “LOVE’EM AND LEAVE’EM” として、アルバム “ROCK AND ROLL OVER” に収録されている。

◆Gene Simmons – Burning Up With Fever – Demo 1975

◆KISS – Mistake Demo Rare

◆Rock and Rolls Royce 1975 KISS (Demo) RARE

WNDちょうどその頃、バンドのロゴについてドイツで問題が起きた。後ろの “SS” の部分が旧ドイツ軍ナチスの親衛隊を表す “SS” のマークに似ていたためドイツではロゴをそのまま使用することができなくなってしまったのだ。そのため、ドイツ国内で販売するレコードなどには普通の “SS” を使用することが決定された。(下は Monster のジャケットに使用されているドイツ版ロゴ)
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1月31日に San Francisco の Winterland で行われた “Hotter Than Hell” ツアーのステージはビデオ録画され、海賊版として広くファンの間で有名な映像だったが、2006年に発売された KISSOLOGY に収録されオフィシャル映像となった。

◆Kiss Live At Winterland San Fransisco 1/31/1975 Full Concert Hotter Than Hell Tour

“Hotter Than Hell” ツアーが2月1日に終わり、KISS はサード・アルバムとなる “DRESSED TO KILL” の録音のために、ニューヨークの Electric Lady Studios に戻ることとなった。

Electric Lady Studios での録音は2月6日から25日までのおよそ3週間で行われた。プロデューサーは KISS自身と Casablanca の社長である Neil Bogart により行われている。(前2作のプロデューサーであった Kenny Kerner と Richie Wise は前年に契約破棄されていた。(「1974 Part3」参照)
しかし、Neil がレコードのプロデュースを行ったのは、以前のレーベルでの話で相当期間が経っていた、そのため、”DRESSED TO KILL” はほとんどバンド自身のプロデュースにより作成されたといってもいい。
ピーター「Neil はスタジオに来て俺達にいろいろ助言はしてくれたけど、後はただマリファナを吸ってただけさ。」

ジーンとポールは録音をしながら並行して新曲の作曲を続けた。前の晩に作った曲を翌日スタジオに持ち込み「今日の曲は “ROOM SERVICE” っていう曲だよ。」とメンバーに提示し、レコーディングが進められるような状況だったため、途中段階とも言えるラフなアイデアの曲となってしまっているものもあった。

プロデューサーが変わったことで結果的にサウンドは以前の2作よりもかなり軽くなった。前2作がライブでのサウンドを再現しようとしていたのに対し、”DRESSED TO KILL” のサウンドはラジオでのプレイを意識した音になっていた。更に資金面の問題もあり、出来る限り撮り直しがないようにと Neil から指示されてのレコーディングであった。

収録された “LOVE HER ALL I CAN” と “SHE” は共にジーンとポールが Wicked Lester 時代にもレコーディングをしていた曲だ。このことからもサード・アルバム用の曲のストックが不足していたことが窺える。”SHE” は、ジーンが Wicked Lester 加入前に作っていたバンド Bullfrog Bheer の頃に Stephen Coronel と共作していた曲である。曲中のソロでエースは The Door’s の “FIVE TO ONE” のアイデアを借用している。また、”LOVE HER ALL I CAN” のイントロでポールは The Who の “I CAN’T EXPLAIN” のアイデアを流用したと言っている。また、曲中には Nazz の “OPEN MY EYES” も流用されている。

◆The Doors- Five to One

◆The Who- I Can’t Explain

◆Nazz – Open My Eyes

“ROCK AND ROLL ALL NITE” のレコーディング時に Neil はパーティーの雰囲気をだすために多くの人にコーラスに参加し、手拍子などを録音して欲しいと望んだ。そのため、ニューヨークにいたメンバーの家族・兄弟や友人、ツアースタッフらがスタジオに入っている。中にはピーターの妻であるリディアや Neil Bogart 本人も参加している。このコーラスに参加した The Planets の Binky Philips が振り返っている「友人だったポールが連絡をくれたんだ。Electric Lady でサード・アルバムの録音しているから参加してくれって言うんだよ。そりゃ嬉しかったさ。ポールはツアー中もたまに連絡をくれてツアー中に起こったとんでもない話をいろいろ聞かせてくれていたんだ。Electric Lady に行って驚いた。KISS はとても小さなスタジオでレコーディングしていたんだ。The Planets がデモを録音する時でさえもう少しまともなスタジオを使うっていうのにね。確かにポールから資金面で苦しいとも聞いていたけどね。プロデューサーは Neil Bogart ってことになってるけど、俺がいた間 Neil は Casablanca の他のアーティストのことでずっと電話していたよ。スタジオで動きまわっていたのは、2人のエンジニアと KISS のメンバー本人達さ。だから、サード・アルバムのプロデューサーは実質は KISS のメンバー自身だって言えるんじゃないかな。」

※実は1977年にCBSレコードが Wicked Lester のレコードをリリースしようと計画したことがある。古いテープは持ち出され、リミックスまでされたが、KISS のマネージメント及び Casablanca がそのリリースを阻止するべく動いた。人気絶頂だった 1977年にポップなサウンドが世間に公表されるのは、KISS のキャリア上良くないと判断し、結果的に Casablanca がマスターテープを買い取る形で話が収まった。

どの曲も作曲のための時間が短かったためか、1年に及ぶ厳しいツアー中での各メンバーの経験が歌詞に反映される結果となっている。また、”C’MON AND LOVE ME” でギター・ソロを弾いているのはポールで、”LADIES IN WAITING” でギターを弾いているのはジーンである。また、いくつかの曲ではエースがベースを弾いている。

kisscreem75レコーディングの最終日に写真家の Bob Gruen がスタジオを訪れ、アメリカの音楽雑誌 CREEM 用の写真撮影が行われた。この撮影は CREEM の企画物であり、写真を組み合わせてコミック仕立てにするというもので、KISS の4人が変身ヒーローのように事件解決のため(スーパーマンの変身シーンを真似て)スーツ姿で電話ボックスに入ると出てくる時はコスチューム姿に変身するという物であった。当時、スーツを持っていなかったメンバーは、写真家 Bob Gruen の服を借りての撮影となった。ジーンは Bob Gruen の離婚した妻が置いていったつっかけを履いていたり、スーツのサイズが合わなかったため、なんともおかしなスタイルとなっている。その撮影の際にメンバー4人がスーツ姿でニューヨークの8th Avenue と 23rd Street の交差点で地下鉄の出口を出たところの街角に立つ写真をメンバーが気に入り、この写真をサード・アルバムのジャケットに使用することが決まり、合わせてアルバム・タイトルも “DRESSED TO KILL” とすることに決まったという経緯がある。

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1975年3月19日に “DRESSED TO KILL” はリリースされた。このアルバムではジャケット上の KISS のロゴがエンボス加工され多少浮き出たようになっているが、この後に Casablanca からリリースされたアルバムの多くがこのエンボス加工されたデザインを採用することとなった。4月5日にリリースされた Billboard誌には、そのサウンドの軽さを指摘して「バンドはハード路線からコマーシャル路線に変更をしてきた。」と書かれている。

4月1日にはNBCで放送された The Midnight Special の収録が行われている。この模様は、7月11日に放送されたが、”BLACK DIAMOND” が放送されたのは2ヶ月後の9月12日となった。また、”C’MON AND LOVE ME” も収録されていたが、放送されることはなかった。

◆KISS ” Midnight Special ” [ 4/1/75 TV complete appearence ]

“DRESSED TO KILL” の発売前後から徐々にヘッドライナーとしてツアーを行うようになってきた。当初は規模の小さな会場であったが、レコードデビューから1年程度でヘッドライナーになるバンドは稀だった。また、メディア戦略にも力を入れた、外部のコンサルタントを招きメディア対策を行っている。ただし、1975年前半頃には多くのメディアは「KISS?冗談だろ?」と言う方が多かった。音楽情報誌である Rolling Sotne誌へもアプローチしたが、同誌創設者である Jann Wenner は、KISS の事を嫌っていたため、表紙に扱われることなど到底叶わないことであった。(KISS が Roling Stone 誌の表紙を飾るのはデビュー40年後の2014年3月まで待たされることとなった)

KIS-A005_800“DRESSED TO KILL” の発売後もラジオではなかなか放送してもらえなかった。そのため、Rock Steady(KISSのマネジメント会社)は、各ラジオ曲で選曲を担当するDJやスタッフを半ば強引にKISS のコンサートに連れて行き、彼らのサウンドを聞かせ、熱狂するファンの様子を見せた。そこで「ラジオで曲を聴いているのは、ここにいるファンのような人たちであり、君自身ではないんだ。」というアピールを行ったという。これまでのツアーを通して全米各地でのライブを行ってきたために、フォロワーと言えるファンが増えてきていた。KISS のコンサートに初めて来たというファンもいたが、2回目以降だというファンも増え、会場でメンバーと同じようにメイクをして楽しむファンも増えてきていた。

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