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KISSTORY : 1974 Part3

20140323_004039000_iOS1974年8月16日 KISS はセカンド・アルバム “HOTTER THAN HELL” のレコーディングのためにロサンゼルスに集合した。今回のアルバムもファースト・アルバムと同様に Kenny Kerner と Richie Wise の2人がプロデューサーに就くこととなった。選ばれたスタジオはサンタモニカにある Village Recoreders だった。

レコーディングに先立って7月にニューヨークの The Minot Sound Studios で何曲かのデモが作成されている。そこで録られたのは、”MAINLINE”、”PARASITE”、”ALL THE WAY”、”WHO’S YOUR BABY”(後に “GOT TO CHOOSE” となった曲)の4曲だった。

Kenny Kerner「セカンド・アルバムはファースト・アルバムよりも進化していることを示す必要があった。ライブ感を出したかったんだ。どのバンドもファースト・アルバム用の曲って、デビューまでの長い時間をかけて練り上げてこれたから、いい曲が多いんだ。でも、セカンド・アルバム制作までには6ヶ月しかなかった。ファースト・アルバムよりも力強い曲を揃えろっていうのは難題だよ。だから、僕たちはファースト・アルバムよりもレコーディングの期間を長く取ったんだ。ファースト・アルバムよりもオーバーダビングしているし、コーラスも厚くしている。結果としてサウンドはより磨き上げることができたよ。

Richie Wise「ファースト・アルバムよりもよりハードで力強いレコードにしたかった。ファースト・アルバムのギターのサウンドは歪みが足りなかったんだ。KISS のライブを何回か観てライブのサウンドをレコードで再現したいと思っていたんだ。”HOTTER THAN HELL” 用にいい曲が多く用意された。レコーディングさえうまくいけば、きっとうまく行くと思っていたよ。」

paul_lobueレコーディングは初日になんとポールが使っていたギター LoBue Custom V が盗難にあってしまうというトラブルからスタートした。そのため、ポールは所有していた Gibson の “Midnight Specials”(黒のレス・ポール)とファイヤーバードを使用しての録音となってしまった。

ジーン「ファースト・アルバムの録音には採用しなかった曲があった。”WATCHIN’ YOU” や “LET ME GO, ROCK ‘N’ ROLL” がそうだ。それから何曲かを作曲したんだ。俺は Wicked Lester 時代に Stephen Coronel と作っていた “GOIN’ BLIND” を持ち込んだよ。」

アルバム・タイトルにもなった “HOTTER THAN HELL” はポールが作った曲だ。ポールによれば、この曲は大好きなバンド “FREE” の “All Right Now” をベースにしているという。確かに聴いてみると類似している部分もある。

◆Free – All Right Now

レコーディングは9月4日まで続いたが、その間メンバー4人はロサンゼルスに滞在することとなった。長期間ロサンゼルスに滞在するのはメンバー4人ともに初めての経験だった。ハリウッドのサンセット・ストリートにあるホテルに滞在することとなったメンバーは、毎晩のようにクラブ Rainbow に顔を出してはロサンゼルスの生活を楽しんだ。
ポール「Rainbow は楽しかったよ、ROCK BAND のメンバーだと分かればホテルまで付いてくる女の子がいっぱいいたんだ。僕には最高の場所だったよ!」

ポール「ジーンと僕にはセカンド・アルバムの曲を用意することは相当なプレッシャーだったよ。デビュー前までに作っていた曲のベストな物はファースト・アルバムに使ってしまっていたからね。更にセカンド・アルバムでは自分たちがどういうバンドなんだっていうのを強く示す必要があったんだ。でも、結果としてはあまりいいレコードを作れなかったと思ってる。サウンドが望んだ通りじゃなかったんだ。曲は良かったのにね。後になって思うのは、ファースト・アルバムに欠けていたと思っていたヘビーさを意識しすぎていたんだ。こう言ってはなんだけど、スタッフが僕達のレコーディングに不向きだったってことなんだ。」

Richie Wise「”HOTTER THAN HELL” で失敗した部分の責任は全部僕にある。結果には不満足だよ。スタジオに不慣れだったから、ミキシングをしていた時のスピーカーが忠実に音を再現してくれていなかったんだよ。ファースト・アルバムが持っていたバイヴをセカンド・アルバムでは出すことができていなかった。」

23HotterThanHell“HOTTER THAN HELL” 製作の少し前から衣装も新調された。大きく変わったのがエースだ。エースは大きな逆3角の衣装で肩から胸の部分を覆った。ピーターは黒レザーに全身にリベットを打った衣装になった。ジーンのコスチュームも以前より露出が多くなり通気性が良くなった。

セカンド・アルバムの準備の段階からバンド内で小さなもめごとが発生した。ピーターは自分の歌う曲を収録しないのならバンドを去ると言い出した。そこでポールがピーターをメインボーカルとする “MAINLINE” を作曲したのだ。また、エースが作った曲 “STRANGE WAYS” もピーターが歌うことになった。レコーディング中にピーターは “STRANGE WAYS” で7分間にも及びドラム・ソロを叩き始めたが、それがレコードに収録されることはなかった。当初、”STRANGE WAYS” は作曲者であるエースが歌うことも考えられていたが、「自分で歌うのなんて恐ろしいよ、だからピーターにお願いしたんだ。」とエースは言っている。噂ではジーンが歌った “STRANGE WAYS” も存在するらしい。ただ、プロデューサーによりピーターの声の方がマッチしていると判断されたために陽の目を見ていない。

“HOTTER THAN HELL” のフォトセッション(ハリウッドの Raleigh Studios で撮影)の前日にエースは自動車事故を起こしてしまう。ロサンゼルス滞在中はロード・クルーたちと共同で2台のレンタカーを借りていた。エースは、夜中に1人で車に乗り、ある通りを何度も往復しスピードにも酔いしれていたが、コントロールを失い電話ボックスに突っ込んだ。頭を怪我したエースは顔中血だけらの状態でホテルに戻り、ロードクルーに「車壊しちゃったよ。」と言った。なんとエースは事故った車を放置して流血した状態で歩いてホテルまで戻っていたのだ。クルーのメンバーは急いでエースを救急病院に連れて行った。翌日、クルーたちは車を探しに行った。「電話ボックスに突っ込んだ」と言ったのはエースだったが、車は車道を外れて丘を越え20メートルほどの崖を下り、大きな岩に乗り上げた状態で発見された。車は大破しており、どうやってエースが生きていたのかが不思議なほどだったという。病院から戻ったエースは顔の一方を酷く怪我していて、数針縫われるほどだった。

BmMnxOFCMAA4oTJエース「Hotter Than Hell のフォトセッションがあったんだけど、医者がメイクはダメだって言うんだ。だから半分だけメイクして撮影したんだよ(笑)」
ジーン「Hotter Than Hell のジャケット写真は実はエースは半分しかメイクしていない。グラフィック・デザイナーが処理をしてくれたんだ。」

アルバムジャケットを撮影したのは写真家の Norman Seeff だった。
Norman Seeff「”HOTTER THAN HELL” のジャケットにある写真は表も裏も同じ日に撮影された。私は自身の本 “Hot Shots” を撮影するために、日本に行ったことがあったんだ。”Hot Shots” では、日本の若いアーティストとも共同作業をした。その時に紹介された中に横尾忠則もいたよ。彼の作品はとてもエキサイティングだった。私は KISS の撮影をしていて横尾忠則の作品を思い出したんだよ。KISS のメイクアップと横尾忠則のイメージ感がとてもマッチすると思った。そこで、若手で才能溢れるデザイナーの John Van Hamersveld を呼んだんだ。彼にしか私のイメージを具体化はできないだろうと思っていたよ。」

KISS_Hotter_Than_Hell_takaデザイナーの John Van Hamersveld は、他にも The Rolling Stones の “Exile on Main Street”、The Greatful Dead の “Skeltons from the Closet”、Bob Dylan の “Pat Garrett & Billy the Kid” などのアルバム・ジャケットデザインも手掛けていた。
John は、横尾忠則が1968年に製作した「腰巻きお仙」のイメージをベースに “HOTTER THAN HELL” のジャケットをデザインした。ロサンゼルスにあるリトル・トウキョウに出向き、イメージを膨らませていたが、そこで Power を意味する「力」という漢字を見つけ、デザインに含めることにした。全体的には60年代のサイケデリックなイメージを込めた。バックにはメンバー各々のメイクを一つのイメージに統合してグラフィックを描いた。結果的に写真とグラフィック・イメージと文字がバランス良く配置された素晴らしいデザインに仕上がった。

1526103_753207528040879_1044343116_nジャケットの裏写真撮影は、パーティ形式で行われた。古代ローマを題材にした小説『サテュリコン(Satyricon)』 のイメージを再現しようと企画されていた。会場には Casablanca の関係者や家族も招かれた。招待客も全て古代ローマを意識したコスチュームを身に付けていた。マネージメント・オフィス Rock Steady のスタッフも例外ではない。ある者は頭にターバンを巻き、ある者は、アニマル・スキンを纏っていた。また雰囲気を盛り上げるためにハリウッドの役者達も雇われて参加していた。
ポール「まるでフェリーニの映画の中に紛れ込んだみたいだったよ。本当にクレイジーだった。天蓋付きのベッドがあって、身体をシルバーにペイントして鳥の仮面を付けた裸の女性もいたんだよ。」
写真家の Norman もその日の様子を気に入っていた。惜しむらくは残っているのが写真のみだったことで、ビデオも撮影しておけば良かったと後悔したという。
KISS のメンバーもスタジオの雰囲気に酔い、カメラの前であるゆるポーズを取った。とは言っても、いわゆる撮影用のポーズではなく、ごくごく自然に身体から湧いて出たポーズだった。
ポール「だんだんと会場の様子はコントロールができない状態になったんだ。特に僕はね。僕は酒を飲み過ぎて、ルーズになり過ぎてしまったんだ。」
ジーンも生涯を通して、あの時ほど酔っ払ったポールを見たことがないと証言している。ジーンの頭にはアメリカのTV番組 Twilight Zone のテーマ曲が浮かんでいた。「ポール・スタンレーは、トワイライト・ゾーンに足を踏み入れてしまったのです…」
いよいよ手に負えなくなったポールはスタッフの手により駐車場に停めてあったバンに監禁されるほどであった…

裏ジャケット撮影時のアウトテイク写真を編集した動画
◆KISS – The “Hotter Than Hell” photo shoot outtakes (Let Me Go, Rock ‘N’ Roll) Demo 1974

そして、アルバム “HOTTER THAN HELL” が、1974年10月22日にリリースされた。しかし、まだまだアメリカ国内での知名度も低く、ラジオで取り上げられる機会の少ない時期だったために爆発的ヒットというにはほど遠いセールスであった。

KISS は本質的にライブ・バンドだ。ラジオやテレビのTop40に登場するようなシングルは作らなかった。それでも Casablanca は KISS の成功を信じて、他のどのレーベルよりも人一番働き、プロモーション活動を続けた。”HOTTER THAN HELL” をリリースした当時、Casablanca の資金は底をつきかけていた。それでも金がかかる KISS のライブを続け、さらに半年毎にアルバムをリリースする計画を続行した。理由は明白だ。KISS の名前がマーケットから消えることがないようにという戦略である。半年毎にアルバムをリリースするというのは並みのアーティストには非常に厳しい条件であるが、KISS のメンバーはむしろその状況を楽しんでいたとも言っている。

1974年後半から1975年にかけて、Rush をオープニング・アクトとしてツアーを行っている。Rush は、KISSとほぼ同時期のデビューであり、カナダでは小さなクラブなどでライブを行っていたが、KISS のツアーに同行することでより多くの聴衆の前で演奏することとなった。Alex Lifesonが当時を振り返っている。
Alex「KISS のメンバーは本当に俺たちに良くしてくれたよ。俺はたぶんツアー中は全ての KISS のショーを観たはずだ。彼らがオーディエンスに対してどう振る舞うのかはとても勉強になった。」
※1974年当時の Rush は、ドラマーが初期メンバーの John Rutsey が在籍していた頃であり、Led Zeppelin のような曲とサウンドだった。ドラムが Neil Peart に替わったことで現在のようなプログレッシブ・ロックの方向に変わっていった。KISS は Rush がステージ前にリハーサルをする時間を十分に与えていた。自分たちがオープニング・アクトをしていた時に不便に感じたことを極力排除したのだ。もちろん、観客からアンコールがあれば、何度でも応じさせた。その方が観客も喜び、自分たちがステージに登場した時の観客の反応がいいことを十分に理解していたからだ。

◆Rush の当時の代表曲 “Finding My Way”

750607creampieRush との仲が良かったことの証としてこんなエピソードがある。1975年のことになるが、Rush が KISS のオープニング・アクトを務めた最終日、Rush のステージが終盤まで進んだ頃、メイクも終わり衣装にも着替えたジーンとポールが手にパイを持って乱入した!もちろん手にしたパイは Rush のメンバーの顔をヒット!ステージ上はクリームでベタベタ、つるつるになってしまった。Ruch もやられて黙って受け入れるわけはなかった。パイとゴム製の弓矢を持ち、インディアンの衣装とインディアンのメイクでKISS のステージ上に現れ、ライブの邪魔をしたのだ。こんなことをしたバンドはお互いに他にはいなかったそうだ。

1974年12月20日のピーター29歳の誕生日にはミシガン州の the Michigan Palace でパーティーが催された。参加したのは KISS のメンバーと Rush のメンバーだった。その会場でジーンはブラウニー・ケーキをいくつも食べたのだが、なんとそのケーキはアルコール入りだった(ドラッグが入っていた説もある)。普段アルコールを口にしないジーンはこのケーキで酔っ払ってしまい、叫ぶ、喚く、よろめくという失態を晒してしまったのだった。

シアトルでのライブの後で、ホテルに戻ったエースはホテルの売店に釣り竿が売られているのを見た。元々釣りは嫌いではなかったエースはさっそくそれを買い、ホテルの部屋の窓から魚が釣れるかどうかをツアースタッフとビールの6缶パックを賭けて勝負をした。海面まではおよそ5m。エースは針を垂らして釣り竿をシャンデリアにかけてビールを飲みながらTVを観ていた。すると間もなくシャンデリアが揺れ始めた!エースは「地震か?!それとも魚か?!」と叫び、すぐに竿を掴んだ。竿はしなる程の強さで引かれていて、スタッフと2人で釣り上げようとしたが、なんと水面に現れた魚はホオジロザメだった!エースは「釣り上げることを諦めた」と語っているが、これがエース得意のアメリカン・ジョークなのかどうかはわからない…。

kisspic037この頃から、音楽雑誌や新聞それからファンによって、素顔の写真を撮られそうになることが増えてきた。Bill Aucoin はスタッフに「絶対に素顔の写真を公表させるな!」という指令を出した。オフの時も常に誰かスタッフが側に付き、もし素顔の写真を撮影されてしまったら、カメラマンに$20ほどの現金を渡し、その場でカメラからフィルムを抜き取らせていった。マスコミと会見を行う場合もほとんどがメイクをした状態であり、仮に素顔での会見となった場合もカメラ類は部屋からシャットアウトされた。ある日、素顔での会見の翌日の新聞に大きく「KISS の素顔!」というスクープ写真が掲載されたことがあったが、どうやらジェームズ・ボンド並の隠しカメラ(万年筆に仕込まれたスパイ用のような物)で撮影されたようだった。しかし、そんなカメラでは人が4人いるのがわかる程度で素顔がどんなであるかまでは判別できない写真だった。
コンサート・ツアーが続く中で、いよいよ Casablanca は資金面で厳しくなってきていた。KISS のマネージメント側は Casablanca との決別も考え、興味を持っているという Atlantic Record 関係者とのミーティングを持ったほどだった。しかし、当時のマネージメント側にいた Joyce Biawitz は、同時に Neil Bogart と個人的に付き合いを始めていたため、すぐにこのミーティングの話が Casablanca に知られることとなってしまう。結果として、初期の2枚のアルバムをプロデュースした Kenny Kerner と Richie Wise は Casablanca との契約を切られることとなってしまった。

KISS トリビア
・1974年5月25日にワシントン州のシアトルで行われたライブには少年 Frank Frrrano が観に来ていた。9年後、彼は Nikki Sixx と名乗り自分のバンド Motley Crue で KISS のオープニング・アクトを務めることとなる。
・1974年6月14日の Cleveland でのショーでは、後に3代目ドラマーとなる Eric Singer が客席にいて、初めて観る KISS のショーを楽しんだ。
・1974年7月13日のフロリダ州 Tampa でのショーでジーンはまたしても自身の髪を燃やしてしまっている。

◆KISS- hotter than hell 1974 Casablanca Records TV Commercial

“HOTTER THAN HELL” 発表直前のライブからの音源
◆Kiss live at East Lansing [21-10-1974] – Full Show

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