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KISSTORY : 1973 Part4

98f544883a7a9e15e4c6a406480464be1973年11月1日 KISS は、Casablanca レコードと3枚のアルバム・リリース契約を交わした。当時は、最初に契約をするのがアルバム3枚というのが普通だった。3枚目までに成功しなければ、契約はそこで終了、成功すれば契約延長となるのだ。新興のレーベルとの契約はとてもエキサイティングだった。全てのメンバーが KISS の成功に向けて全力で取り組んだ。しかし、KISS と契約をしたことで Neil は周囲から「狂ったのか?!」と言われてしまうのだった。「今までポップ路線で売れていた Neil が最初に契約したのが、ハードロック・バンドなのか?!」

周囲の声をよそに Casablanca はプロモーション活動を開始する。Neil は、世間を楽しませることなら投資を惜しまない人間だった。また、友人にATI(ハードロック系を得意とするプロモーター)を経営する Jeff Franklin もいた。ATI以外に問い合わせても「ドラム・ライザーなど持って行けない!メンバーと楽器だけで来い!」と断られていたのだが、彼らは投資を惜しまずに KISS にツアーの計画を立てていた。ピーターが振り返っている「Neilのやり方は半端なかったよ。彼は1ドル儲けるために1000ドルを費やすようなヤツなんだ!彼のことは大好きさ。」もちろん、Neil は金を無駄に捨てるような人間ではなかった。最終的に儲けるための策をいろいろ考えてプロモーションの計画を立てていたのだ。ATI の Jeff Franklin によれば、Neil は最高の営業センスを持っていて、エスキモーに冷蔵庫を売るほどの才能だったらしい。
エース「Neilは本当に頭がいいと思うよ。彼はチャンスを掴むことに恐れを感じないんだ。他のどんなレコード会社も俺たちに接触すらしようとしなかったのに、Neilは、一緒にサイコロを振ってくれたのさ(賭けに出たの意)。」

■1st アルバム・レコーディング

1973年11月、いよいよデビュー・アルバムのレコーディングのためにニューヨークの Bell Sound Studios に入ることとなった。Casablanca にとっても初となるアルバムのプロデューサーには、Kenny Kerner と Richie Wise が担当することになった。彼らは、それ以前も Gladis Knight & Pipes や Badfinger などのプロデュースもコンビで担当をしていた。

judeLP2dレコーディングに使われた Bell Sound Studios はニューヨークでもトップクラスのスタジオだった。非常に広いスタジオでオーケストラを収容することも可能だった。また、同スタジオのオーナー会社は、Buddah レコードのオーナー会社と同じだった。設立されたのは1953年で、Carole King、Neil Sedaka、Paul Anka、Pat Boone などが使用したことで有名だった。Casablanca がそのスタジオを選んだ理由は、才能のあるエンジニアがいることを知っていたからだ。

プロデューサーの Kenny Kerner は、デモテープに記録されていたリアルなライブ感や、余計な加工のない生なサウンドをデビュー・アルバムで失うことだけはしたくないと考えていた。レコーディングにかかった期間は13日間だった。録音に6日、ミックスダウンに7日だった。(ミックスダウン=ミキシング

録音は初日にピーターのドラム、2日目にジーンのベース、3日目にポールとエースのギターが録音され、残りの3日間はボーカルとコーラスに費やされた。録音された曲はこれまでもライブで何度も演奏されてきた曲だったため、録音に時間はかからず、終始和やかな雰囲気で終えることができた。

Richie Wise が彼らのレコーディングを振り返っている「ポールはとても優れたリズム・ギター・プレイヤーだ。自分のやるべき事を良くわかっていた。エースもクラプトンやペイジのスタイルで非常に良いソロを弾いた。でも、大酒飲みで、いつも面白い事を言ってたね。ジーンは常に作業に集中していた。ピーターは僕らの仕事にとても協力的だったよ。」

Kenny Kerner「ピーターには多少タイミングの問題があり、少し時間の延長が必要になったんだ。KISS のメンバーは音楽的に “巨匠” になることを求めているわけではなかったよ。そう、The Rolling Stones と同じスタイルだね。ジーンは常に KISS は音楽ビジネスにいるのではなくエンターテイメント・ビジネスにいるんだと考えていたみたいだね。彼らは本当に showmen だよ。」

“NOTHIN’ TO LOSE” では、セッション・ピアニストとして著名だった Bruce Stephen Foster が参加している。「少し前にプロデューサーの Richie Wise と僕のアルバムで一緒に仕事をしたんだ。Richie は、自分がプロデュースしている新しい KISS っていうバンドのレコードでロック調のピアノを弾いてくれないかって連絡をしてきたんだ。レコーディングをした日はとても寒くて、僕は凍えた手で古く硬いキーのスタインウェイのピアノを弾いてる内に指から出血してしまった。レコーディングが終わったところにジーンとポールが演奏が良かったって言いに来てくれたんだけど、血だらけのピアノのキーを見てビックリしてたよ。それ以来、ジーンは僕に会うたびに“指から血は出てないか”ってジョークを言うんだ。でも、KISS のレコーディングに参加できたのは嬉しかったよ。その後、僕のバイオを見るたびにみんなが言うんだ “えぇ!KISS と一緒に演奏したの?!”ってね。」

“LOVE THEME FROM KISS” についてジーンが語っている「俺たちには “Acrobat” っていう曲があったんだ。前半がスローで後半に速くなる曲で、”DETROIT ROCK CITY” のイントロに似たリフだった。プロデューサーの Richie は後半部分をカットしてインストゥルメンタルの曲にしたがった、それもタイトルに「愛のテーマ」なっていうのを付けてね。俺たちにしたら「KISS からの愛のテーマ」なんて寒気がするアイデアだった。でも、事を荒らげることはやめて、Richie のアイデアに従ったのさ。」

c049e90a12d075abbb91be4a6e11266aエース「俺にとって、本格的なアルバム・レコーディングは始めての経験だったんだ。ファースト・アルバムは、俺たちのベスト・アルバムの1枚さ。曲もいいし、サウンドも良かった。俺たちはスタジオで110%の力を出したんだ。」

Kenny Kerner「ジーンとポールは全ての作業に立ち会っていたよ。彼ら2人は非常に仲が良かった。彼らがバンドをリードしていたんだからごく自然なことではあったね。」

ポール「ファースト・アルバムに収められた曲はどれも素晴らしい出来だった。音楽的に時代を感じさせることがないんだ。僕たちがファースト・アルバムのレコーディングをしている時の写真があるんだけど、スタジオでそれぞれが興奮してたり、戸惑ったりっていう表情をしているよ。僕たちはそれぞれが個性に溢れていた。僕らを結びつけていたのは、バンドへの情熱と成功したいっていう強い気持ちだ。成功に対するイメージはみんなそれぞれ違っていたと思うけどね。他の連中が9時~5時の仕事をしている時に僕たちはレコーディングをしてたんだ。それって夢の中にいるって感じだったよ。」

d05983b90b87d39f2fe8d0a1a917ed44ジーン「ファースト・アルバムのレコーディングは夢が叶ったという瞬間だった。全員がハッピーで、全員が良くやっていたさ。もう、他の仕事をやらなくても良いと思ったよ。エースとピーターと一緒に仕事をするのもとても楽しかった。2人ともアルバムをレコーディングできることがとても幸運だと思ってたのさ。とてもいいチーム・メンバーだった。ファースト・アルバムのレコーディング中は誰も酔いつぶれたり、(薬で)ハイになったりしてなかったのさ。ただし、プロデュースには少し不満があった。Eddie Kramer がデモとして録音してくれたものより少し劣って聴こえてしまったんだ。」

peterbellsoundピーター「あの時、僕らは本当に一体化していたよ。一人はみんなのために、みんなは一人のためにっていう風さ。お互いに初めてのチームだったわけだし、ファースト・アルバムを作る作業は本当に素晴らしかった。僕は意気揚々として『ついにクリエイティブな仕事を手に入れた』って感じてたんだ。70年代初期に Chelsea でレコーディングを経験して Decca レコードからリリースもしたけど、KISS ほどメンバーになって良かったと思えるバンドは他にはなかったよ。本当に心と魂をレコーディングに込めたっていう感じさ。でも、プロデューサー2人の選択は間違いだったかもしれないね。Eddie Kramer がデモに続いて担当してくれていたら、もっとライブ感があったと思うんだ。」

Richie Wise「当時は、このレコーディングは完璧で素晴らしいと思ってたんだ。でも、後になって言えることだけど、勢いがないサウンドになってしまっていた。ギターのディストーションは弱いし、アグレッシブな感じを得られていなかったんだ。」

※アルバムには Eddie Solan の名前もクレジットされている。Eddie は、いつもライブで使っていたサイレンをスタジオに持ち込んで、”FIREHOUSE” のエンディングで鳴らしたのだ。

※Kenny Kerner がスタジオに向かう時、ジーンと同じ地下鉄に乗り合わせたことがあった。その時、こんな会話があったそうだ。
Kenny「レコード会社と契約できたのに、まだ地下鉄で通っているのかい?」
ジーン「デビュー・アルバムが何枚くらい売れるか想像できるかい?」
Kennyが「それはわからないね。」
ジーン「そうだろ。俺もそれはわからない。だから俺はまだ地下鉄に乗るんだよ。」

06※ポールはレコーディングに Gibson Les Paul を使っている。エースは Ovation Breadwinner を使った。

レコーディング終了後、次はジャケットのデザインに着手された。呼ばれたのは写真家の Joel Brodsky だった。Joel はそれまでにも Doors や Van Morrison のジャケットも撮影経験があった。Neil Bogart とは Buddah レコード時代から関係だった。

doors “Strange Days”thNCUQSRXK

 

 

 
ジャケット撮影の前夜、大規模なパーティが開かれた。デザイナーや Rock Steady のスタッフも参加したそのパーティではみんなが酔いつぶれた、ポールとジーンの2人を除いては…。撮影当日、イラストレーターの David Byrd も呼ばれ、メンバーのメイクをリファインしている。特にピーターのメイクはよりネコらしく見えるように修正された(だから、ファースト・アルバムのピーターのメイクはちょっと凝ったデザインになっているのだ)。事前にメンバーにはコンセプトも伝えられていなかったため、何も知らないままで Joel の写真スタジオを訪れていた。コンセプトは The Beatles の “Meet The Beatles” に似せて、4人の顔をクローズアップで載せようというものだった。黒の背景の前で大きな黒い布を身体にかけられての撮影となった。出来上がったジャケットのサンプルを見てポールは少し不満だった。「単なる写真だけのジャケットで、凝ったデザインは何もなかった」からである。
ジーン「ファースト・アルバムのジャケットはシンプルだ。“これが KISS だ!手に取るか放っておくか好きにしろ!”って語ってるよ。」
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■1973年12月

12月4日、メンバーはフィラデルフィアで行われた The Who のコンサートを観に行っている。コンサート後メンバーとスタッフは話し合った。「ピート・タウンゼントのようにステージ上でギターを壊す演出はどうだ?」ちょうど、Gibson社とギター使用の契約をしている最中であったため、ポールが破壊するためのギターを無料で提供してもらえる確約ができた。そのため、ファースト・アルバムの裏にはGibson社の名前が記載されることとなった。

レコード発売に合わせたツアーが開始される前にニューヨーク Queensの Coventry にて12月21日と22日の2回のコンサートを行うこととなった。(当初は23日も予定されていたがキャンセルされている)世界戦略に向かう前の最終ステップだ。エース「マネージメント契約も、レコード契約も手にして、新しい機材とコスチュームも手に入れた。俺たちにとってスペシャルなギグだったんだ。」当日は80人~100人近くのファンが集まった。

マネージメントの策略としては、年末の12月31日に大きなコンサートを予定していたため、この Coventry のショーはメンバーのウォーム・アップにちょうど良いと考えられていた。

この日は Isis、Rags、City Slicker、Flaming Youthが共演していた。(※Flaming Youth は、その後のKISS の曲 “FLAMING YOUTH” のインスパイアになっていると想定される。)

40 años de KISS - Coventry - 1973ライブの演出には蝋燭の燭台、ドライアイス・スモーク、ピーターのフラッシュスティックなどが追加されていた。また、ポールとエースは Marshall アンプを狭い Coventry のステージに積み上げた!(しかし、ポールによれば半分は空のキャビネットだったそうだ「問題はスピーカーの数じゃない、キャビネットの数だったんだよ(笑)。オランダの Marquis 社にファイバー製のキャビネットを作って貰ったんだ。でも、ライトは当てるなって言われた。だって、ライトを当てたら反対側が透けて見えちゃうんだ。」

ジーンは、この日のショーにかつての友人で Wicked Lester で辛い別れとなった Stephen Coronel を招待していた。Stephen はショーを存分に楽しんだ。「ヒールを履いて巨大になった彼らは、まるでモンスターだったよ。演奏された曲もどれも本当に良かった。」

Coventry のショーは RAMONES のメンバーも観ていた。RAMONES と KISS は同年代にニューヨークで活動していたのだ。Joey Ramone は当時を振り返り、KISS は今まで聴いたことがないくらいにラウドなバンドだったと言っている。
Tommy Ramone「Coventry でのショーはまったく凄いショーだった。力強くユニークなサウンドでプロフェッショナルだった。他にもメイクをしたバンドはいたが、そいつらは Dolls や Twisted Sister みたいなグラムのメイクだった。KISS を括るカテゴリーはなかったんだよ。」

RAMONES のメンバーのみならず、この日のライブを見た全観客及び全てのライバルたち(当時のニューヨークで活動していた他のバンドのメンバーだった連中)は、KISS の演奏と演出の素晴らしさに雷に打たれたような衝撃を覚え、KISS が Coventry のような小さなクラブでは収まりきらない、誰にも止められない勢いを持ったバンドに成長したことに興奮を抑えられなかった。

1973年12月22日 Coventryでのショー

Bill Aucoin「KISS と初めて働き始めた時から信じていたよ。KISS は自分たちにミッションを課して、それを果たしていた。こうなるように自分たちをコントロールしてきたんだ。ほとんどの新人アーティストは何か起きることを期待し、金持ちになることを夢見ていて、誰かがコントロールしてくれるのを待っている。でも、KISS は違ったんだ。1973年12月の時点で、彼らはアルバムの発売に、そして来るべきツアーに期待して興奮していた。それらの情熱の全てが Coventry で爆発したんだ。」

※Coventry のショーでジーンはベースの弦を切るトラブルに見舞われた。ステージ上でベースの弦が切れることはレアなことで、予備の弦はなかった。ジーンから依頼されたスタッフの Eddie Solan は、なんとPA固定用に使っていたワイヤーの使用済の物をジーンに手渡した。ジーンは弦(実はケーブル)の替えがあることに驚いたが、なんと!それが代替品の役割を果たしたのだ!(と Eddie は語っているが、本当か?!)

Coventry のオーナーは、この日ニューヨークの the Dairy News で、ロックコンサートのレビューなどを担当していた若干20歳の記者 Stan Mieses をおもしろいバンドがいるから観に来るように誘っていた。Stan は初めて KISS を観て、(音楽的には多少趣味から外れていたそうだが)、非常に関心を持ち、ショーの詳細を記事にした「KISS の個性は他のどのバンドとも異なる特別のものだ!」5年後、the Dairy News の記者として仕事の量も増えた Stan は、KISS の来日に同行することとなる。飛行機のファーストクラスで何とジーンの隣の席に座ることとなった。Stan が自分の名前を告げると、ジーンは目をぱちくりさせて、ごそごそと財布から紙切れを出してきた「君がこの記事を書いた Stan Mieses か!」それ以来、ジーンと Stan はすっかり緊密な仲になった。

■1973年12月31日 New Year’s Eve

実は完成したレコードとジャケットを受け取った Warner Brothes から Neil Bogart に「メイクを落としてデビューさせろ」との指示が出ていた。当時、Alice Cooper のレコード・セールスは落ち気味で、同じジャンルと判断した連中がメイク路線を嫌ったのだ。Neil から連絡を受けた Bill Aucoin はリハーサル中の KISS に質問した。「実はWarner Brothers からメイクを落とせと言われている。君たちはどう思う。」この質問に対するメンバーの回答は明白だった。「メイクを落とす気はまったくない。メイクを含めた全てが KISS なんだ。このままを受け入れるのか、全てやめるのかを判断して欲しい。」Bill と Neil が Warner Brothers を説得し、この件は無い物となった。

1973年の12月31日にいよいよ KISS は初の大きなステージ New York’s Academy of Music に上がることとなった。この日は、Teenage Lust、Iggy & the Stooges、Blue Oyster Cult のオープニングを飾るのだ。(New York’s Academy of Music は後に Palladium に名称を変更している。)

New York’s Academy of Music は4,800人収容可能な大きな会場だった。
実はこの日の出演者リストに KISS が載ったのは直前のことだった。他のバンドのメンバーもそのことを知らなかった。

KISS のメンバーはベンツのリムジンで会場に乗り付けた。ポール「この日は後に出演するヤツら全員をふっ飛ばしてやろうって思ってたよ。クラブ時代に別れを告げて、新たな歴史を進み始める僕たちにはいい機会だった。」

この日のコンサートの前に写真家 Bob Gruen によるフォト・セッションがあった。レコード発売に合わせた販促ポスターやプレス配布用に使われる写真である。Bob Gruen は Neil Bogart が、Buddah レコード時代から共に仕事をしてきた写真家であった。

be20c8aafd54e7799b7b0099280fc96aKISS はステージの両サイドに Marshall アンプのキャビネットを積み上げた。左右それぞれに10個ずつだ!また、Bill Aucoin は、この日のために大きな KISS ロゴの照明サインをバンドに内緒で用意していた。この KISS サインは今では KISS のトレードマークとも言える、なくてはならないものになっている。当時、他のどのバンドも照明ライトで出来たバンド・ロゴなどというものを持ってはいなかった。その巨大な KISS ロゴはまだ観客が入る前にステージ後方にセッティングされた。KISS の登場に合わせて全てのロゴが点灯された時、観客の目には KISS のロゴが目に焼き付き、目を閉じても KISSの文字が消えることはなかった。また、その大きな KISS サインは他のアーティストが演奏している間もずっと後方に掛けられたままだった(もちろん点灯はしていなかったけど)。

th7VUY825U演奏が始まると客席は一様にざわめき、共演者たちも目を見張った。「いったい全体、こいつらは何だ!!」

実はこの日のショーでは失敗があった。ジーンがフラッシュ・ペーパーを使ってステージ上で閃光を放とうとした時、その閃光が最前列にいた少年の顔に当たってしまったのだ。顔の目の前でのフラッシュ・ペーパーの爆発に少年はその場でボウリングのピンの様に倒れてしまった。この様子をミキサー卓の前で見ていた Bill Aucoin と Eddie Solan は口を開けたままお互いの顔を見て、「今日は KISS の歴史の始まりの日だったが、終焉の日になってしまった。」と思ったそうだ。少年の元にはすぐに Rock Steady の Joyce Bogart-Turner が行き、安否の確認をしていたが、しばらくして少年は立ち上がった。顔はやけどをしていたが、ショーの後で少年はバックステージに来ると「Wow!今まで観た中で一番エキサイティングなショーだったね。」と言った。幸いなことに少年は KISS ファンだったのだ。その後、救急車で運ばれたが、運ばれる直前にもレポーターに「KISS は僕の一番好きなバンドさ!」と語っていた。その日以来、ジーンはフラッシュ・ペーパーのトリックを使用するのはやめてしまっている。

もう一つの大きな失敗はジーンの火吹きだった。なんとジーンの髪に引火してしまったのだ。ジーン「New York’s Academy of Music のような大きな会場にはこれまで Slade や Argent、Fleetwood Mac なんかを観に来ることしかなかったから、何か印象に残ることをしたかった。当時は髪の毛を少しでも大きく膨らませようとしてヘアースプレーを大量に使ってたんだ。3曲目の “FIREHOUSE” が終わる時に、火を吹くことに決めていた。でも、その火がヘアースプレーの成分に引火してしまい右側の髪が燃えてしまったんだ。」引火したのは、火を吹いた瞬間ではなく、火の付いた剣を下に置いた時に腰を落とした時だった。ジーンは最初は自身の髪が燃えているのに気づいていなかった。ステージ袖にいた Sean Delaney がすぐに事態に気付き、濡れタオルでジーンの頭を覆って、鎮火した。ジーンは、演奏後にバックステージの鏡を見て、自分の右側の髪が6cm近く短くなっているのに気が付いたのだった。

※この日の演奏中にポールのパンツのTOPボタンが弾けて飛んでしまった。ポールはギターでパンツを押さえながら演奏していたそうだ。

KISSの後に出演した3バンドには申し訳ないが、この日の観客の記憶には KISS のパフォーマンスと大きなロゴ・サインしか残っていなかったに違いない。

Iggy & The Stooges – Search And Destroy

Blue Oyster Cult – Stairway to the Stars

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