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KISSTORY : 1973 Part3

img264Bill Aucoin は、初回のミーティング時に Sean Delaney をジーンとポールに紹介している。Sean も KISS の創成期には欠かせない人物(必要なパズルのピース)だった。(右の写真の左端が Sean Delaney、右端がピーターの元夫人 Lydia Criss、右から2番目がBill Aucoin)

Sean はバンド・イメージ統一化の第一歩として、まずメンバー全員に髪をブルー・ブラックに染めるように指示した。The Beatles や Temptations も髪の長さや色を同じにし、同じスーツを着ることでバンドとしてのイメージを固めている。それを KISS に持ち込もうと計画していた。

次に取り組んだのはステージアクションだった。今ではトレードマークとも言える “DEUCE” や “LET ME GO, ROCK ‘N ROLL” のフロント3人が揃ったアクション(何度観てもカッコいい!)は、この時に Sean が指示して始めている。(最初メンバーは抵抗したらしい…)

Bill は以前 Sean の事をこんな風に表わしていた 「Seanは演出家としてとても優れた人物だ。何かがおかしいと思ったらすぐに指摘していたよ。彼はどうあるべきかを頭に明確に持っている創造的な男だった。ロードマネージャーとしてツアーにも付いて行って、全ての演出を組み立てていったんだ。メンバーが悩んでいても、”よし、やってみよう!” とすぐに提案していたよ。」

Sean は単なる演出の提案やロードマネージャーとしてのみではなく KISS に深く関わった。多くの曲で共作者としてもクレジットされている。ミュージシャンであるという部分も含めて、Bill Aucoin や Neil Bogart(Casablanca レコード社長)よりも考え方がメンバーに近かったから、お互いに信頼関係を築くのが早かったのだろう。

7adaedace1fe09a852eb72bd4a7eee2cRock Steady と契約したことにより KISS の周囲が急激に動き始めた。メンバーが「こういう事をしたい」と言えば、Bill は「 No 」とは言わずに、実現の可能性を検討した。ピーターのドラムを上に上げるドラム・ライザー、カメラのフラッシュのような光をステージ上で作り出すフラッシュ・ポッド、手品で一瞬の閃光を作り出すフラッシュ・ペーパー、当時のディスコに常備されていたミラーボールなどなどがステージセットに追加されていった。また、コスチュームもデザイナーとタッグを組み、新たに作られた。ジーンは革製のバット・ウィングを付け、「ここにスタッズを付けてくれ。ここにはラインストーン、ここはジッパーだ。」と細かく注文した。(ジーンのデザイン通りにできあがったコスチュームは14kgにも重くなってしまった。)

ブーツはニューヨークにある老舗のイタリア製靴会社によって作られた。実はジーンが The Mike Douglas Show に出演した時、衣装担当が左右ではなく、一方のブーツ(右、または左)を2つ持って行ってしまったらしい。それでもジーンは番組にそのまま出演した。

初期のレザー製の衣装は、取り扱いに非常に苦労した。ショーが終わり、汗で濡れた衣装は匂いがとてもキツかった…スタッフは、次の街へ移動するとまずはレザー衣装をケースから出し、1日中外に干した。とても室内に置いておけるような状態ではなかったのだ。

ある日、Rock Steady のオフィスに KISS のメンバーとマジシャンの Presto という人物が呼ばれた。Presto はメンバーの前で火を吹くマジックをして見せた。メンバーは4人とも「いったい全体、何だこれは?!」という顔になった。Bill がメンバーに「君たちの内の誰かにこれをやってもらう。やりたくないと思うのは誰だ?」と質問した。その質問にジーン以外の3人が手を挙げた。ジーンは「やりたいのは誰だ?」と質問されたと勘違いして、手を挙げなかったのだ。すると Bill が「OK!シモンズ、君がこれをやるんだ。」と言った。(Bill は最初はポールにやってもらいたいと思っていたらしい…)

※火を吹くパフォーマンスの前は、Firehouse の曲が終わる前にポールがバケツ一杯の紙吹雪を(火を消す様子をイメージして)客席に向かって振り撒いていた。水が撒かれると勘違いした観客は一瞬驚くが、紙吹雪だと知って大喜びをしていた。

また、元々ホラー好きだったジーンはステージで血を吐くパフォーマンスをやりたいと言い出した。「クリストファー・リーの映画でドラキュラが牙を見せ、女性の首筋に噛み付いた後にカラー映像で彼の口から真っ赤な血が流れ落ちる瞬間に多くの観客が恐怖の悲鳴を上げるんだ。それをステージで演ったらカッコイイと考えたのさ。」
※当時は「ブタの血を使っている」なんんていう噂もあったが、最初からジーンは映画/演劇用の血糊を使っていた。ツアーの都度、スタッフがニューヨークの演劇用品店で購入していた。

Bill は、KISS のために小さなリハーサル・ルームを借りて、4台のビデオカメラを設置した(今でこそビデオ録画なんて携帯電話でもできるが、当時は非常に高価なものだった)。KISS はリハーサル風景を録画し、自分たちのアクションを確認して、カッコよく見えるアクションは残し、ダサいアクションは捨てていった。

41HotterThanHell※ビデオが用意される前は Sean Delaney からのアクション指導も「そんなのカッコ悪くてイヤだ。」と言っていたのだが、ビデオで撮影してみて自分たちでチェックができるようになってからは、Sean のアイデアも取り入れられるのが早くなった。
※”COLD GIN” の間奏でジーンの片足をエースが両足で挟むように立ち、エースの後ろにポールが立つというアクションも、この時に生まれている。
※ジーンは観客の目の前に向かってくる時はモンスターの動きだったのに、後ろに戻る時はどう見ても人間に戻ってしまっていたのも、Sean に指摘されて修正した。

誰がフロントマンに相応しいか…Sean が当時を振り返っている「4人のメイクを見て各々のキャラクターを考えたんだ。デーモンは吠えたり唸ったりはするが言葉を話すのはヘンだ。宇宙人は?ネコは?結果として一番人間に近かったポールに叫んで貰ったんだよ “How ya’ doin?!!!” ってね。」
※ポールは以前から頭皮の痒みに悩まされていて、リハーサルでもたまに片手で頭を掻いていた。それを見た Sean は、「やるなら両手でおもいっきり掻け!それから腕を上げてマイクに向かって大声で叫ぶんだ、 “How ya’ doin?!!!”って!」

◆Casablanca レコード

Bill Aucoin が KISS のライブを Diplomat Hotel で観たのと同じ頃に Buddah レコードの Kenny Kerner は KISS のデモ・テープを聞いて、当時の上司だった Neil Bogart に KISS と契約をすべきだと提案していた。当時、Neil は自身のレコード・レーベル Casablanca を立ち上げようとしているところだった。Kenny からの提案を受けて、KISS のデモ・テープを聞いた Neil は、翌日 Kenny に言った。「よし、このバンドと契約しよう!ただし、Buddah レコードじゃない、このバンドは Casablanca が契約する最初のバンドになるんだ!」

60年代後半に設立されたATI(American Talent International)は、ハードロック系バンドを得意とするコンサート・ブッキングの会社だった。ATI の社長である Jeff Franklin は、Neil Bogart の友人で、KISS が Casablanca レコードと契約をする時に協力をしている。

1b2c7c7cb2793c6481072448d3a93e69ここで少し Neil Bogart という人物を説明しよう。(右の写真で真ん中に立っているのが Neil Bogart)

Neil は幼い頃からエンターテイナーとしての道を進みたいと考え、最初は役者になった。役者としてオフ・ブロードウェイの舞台に上がり、TVやコマーシャルにも出演している。10代後半にソング&ダンスのチームに入ることになり、船上でのショーなどに出演していた。20歳になった頃、ソロでレコードデビューをしないかと声をかけられ、1961年に Neil Scott という名前で Potrait レーベルから “Bobby” という曲をリリースしている。この曲は当時のTop40にまでなるほどのヒットをした。だが、その後ヒットは続かず、歌手を辞めて他の道を進む決意をし、Cameo-Parkway というレコード会社に入社したが、同社が売却されることとなり、Buddah レコード社に移った。Buddah レコードはバブルガム・ポップ(アイドル系ポップ)を得意とするレコード会社だった。そのジャンルは経験上でも Neil が得意とするジャンルだったのだ。

だが、Neil の貢献に対して Buddah レコードからの報酬は望むほどではなかった。そこで、Neil は自身のレーベルを立ち上げることを考え始めた。また、Neil は「バブルガム・ポップの時代はじきに終わる。これからはロックンロール系が流行るはずだ」と睨んでいた。そして、1973年9月に Neil は、大手 Warner Brothers 配下のレーベルとして Casablanca を立ち上げたのだ。

83ff17b51102dbac75523fc3f2d02efdなぜ、Casablanca という名前にしたのか…単に Neil が同名の映画が大好きだったからというのもあるのだが、Neil が振り返っている。「元々自分の姓は Bogatz だったんだ。でも、ビジネス上では Bogart と名乗っていた。自分のレーベルを立ち上げるにあたって何て名前にするか悩んでいた。ある晩、ベッドに横になって考えたんだ。…オズの魔法使いが住んでいた Emerald City はどうだ?もしくは、Paradise Records もいいな。自分の立ち上げるレーベルが自分のパラダイスであって欲しいしな。でも、Bogartが作るんだ…Bogartがいる場所、Bogart…そうだ!Bogart がいるのは Casablanca じゃないか!!」
※映画 Casablanca に主演した俳優の名がハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart)だった。

当時も今も Warner Brothers と言えば大手のレコード会社だ。当初、Neil からの連絡に Warner Brothes 側も悩んだ。だが、これまでに Neil がBuddah レコードでやってきたこと(どちらかといえば、通常のやり方ではない。無理やりに金を注ぎ込んだりもしていたが、必ず結果は残してきていたのだ。)を考慮し、結果として立ち上げ資金に$750,000(およそ8千万円)を提供している。

だが、Warner Brothers が、Casablanca に望んでいたのは、ライト・ポップでシングル・ヒットするレコードだった。まさか、最初に契約するアーティストが KISS のようなハードロック・バンドであるとは思ってもいなかった。

Kenny Kerner から KISS と契約すべき と聞いた Neil は、まずマネージャーは誰かを確認し、すぐに Bill Aucoin に連絡をしてきた。Neil は、KISS のメイクアップや凝ったステージ演出は度外視で、純粋に曲や演奏が気に入っていたのだ。Neil Bogart と Sean Delaney が以前から顔見知りだったというのも話が早く進んだ一因だったかもしれないが、KISS が成功を手に入れるための『運命の歯車』が回り始めていたのだ。

さっそく、Neil に演奏を見てもらう場所をセッティングすることとなった。だが、大音量のハードロックバンドを受け入れてくれるリハーサルスタジオが簡単に見つからずに、写真家 Henry LeTang のスタジオを借りることとなった。

kissacuario_40añosdekiss (11)会場となったスタジオは狭く、ステージと言っても小さなもので、周囲の壁は鏡で覆われていた。椅子は数人掛けのベンチが数脚あるだけだった。そこにおよそ40人の関係者が詰め込まれた。Casablanca からは、Neil Bogart、Kenny Kerner、Richie Wise(プロデューサー)などが来ていた。Rock Steady からは、Bill Aucoin、Sean Delaney、Joyce Bogart-Trabulusが参加した。会場の準備が終わり、KISS が集まった人たちの前に登場すると Casablanca から来た人々は皆、一様に驚いた。メイクをし、衣装を着て6~7インチのブーツを履いたメンバーはとにかく巨大で恐ろしかったのだ(当時のメイク、衣装では恐怖を感じるのも理解できる)。KISS は1曲目に “NOTHIN’ TO LOSE” を演奏したが、演奏が終わっても拍手や歓声がなかった。最前列のベンチに座り、手を伸ばせば触れるほどの距離でメンバーを間近で見て、大音量の演奏を聴いた Casablanca からの参加者は恐怖とショックで拍手することすら忘れてしまっていたのだ。すると、ジーンはステージを降りて、Neil Bogart の目と鼻の先に顔を近づけると、彼の両手を取り強制的に拍手をさせたのだった。反射的にNeil は立ち上がり、自ら拍手をし、他の参加者も同様に歓声を上げた。この時、ジーンはこの契約はうまくいかないかもと思ったが、Neil の反応を見て安心し、ポール、エース、ピーターの顔を見た。
Neil が振り返っている「初めて見た KISS の演奏は、雷に打たれたようだったよ。彼らのサウンドもバンド・イメージも俺が7年間探し求めていたものだった。音楽とヴィジュアルが完全に調和したバンドにやっと出会えたんだ。」

数曲の演奏を終えた KISS はその後、狭い部屋で立ったまま Neil、Bill、Joyceと打ち合わせをした。そこで、Neil は、彼らの演奏に興奮したこと、自身の新しいレーベルである Casablanca の最初のアーティストとして契約したいこと、どんな未来が待っているのか、スターになることを約束する、などをメンバーに語った。それを聞いたピーターは感激のあまりぶっ倒れてしまったが、いつの間にか部屋にいた(ピーターも含めた)全員で大笑いを始めていた。

これでレコード契約も決まり、ハード・ワークな日々が始まるのだった。

※Neil Bogart が Neil Scott としてリリースした “BOBBY”

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