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KISSTORY : 1973 Part1

ee602bd9cd74d1d111d133b53242c1f1ジーンが望んでいた新しいバンドのイメージは、メンバー1人だけを見ても、そのバンドのメンバーであることがわかるような「バンドとしてのイメージ」があること、それでも、メンバー全員が揃った時には各々のメンバーが個性的に見えるようにしたいというものだった。そう、The Beatles がそうであったようにだ。「Alice Cooper や David Bowie や Genesis がメイクをやめてしまったのなら、俺たちがメイクをしよう!自分自身のファンタジーの世界に浸って、別の自分を装うんだ、中身はあくまでも自分自身であるにもかかわらずだ。」

この頃、エースは自分のステージ・ネームをエース・フレーリーでいくことに決めている。バンドに2人のポールではしっくり来ない。(エースの本名は Paul Frehley )エースというのは学生時代から仲間に呼ばれていた名前だったので、何も悩むことなく決まった。

当時バンドのマネジメントを担当していた友人は、ロフトを訪れる都度、彼らの見た目が変わっていくのに気づいていた。最初はアイライナーだった、次にルージュ、眉も描き始めた、でも、ある日全部なくなっていたりした。その後も音量が日に日に大きくなって行くのに比例するようにメイクアップも増えていった。

ジーン「最初の頃はキラキラした衣装を選んでいた。どちらかと言えば女装のようだった。ポールはまだ見れたが、俺はフットボール選手がバレエの衣装を着ているようだった。だが、メイクのコンセプトが固まってきた後は早かった。俺とポールは大きな鏡を買ってきて、壁に立てかけた。ただ、安物だったからまっすぐ立ってはくれなかったけどね。それが、Coventry でのライブの一週間前だった。」

1973年1月、当時のニューヨークで、オリジナルの曲を演奏できる場所は3箇所しかなかった。Max’s Kansas City、the Mercer Arts Center そして Coventry だ。(1973年1月当時はまだ名前は Popcorn Pub だった。後に Coventry に名前を変更している)

■Coventry 1973/1/30、1/31、1973/2/1

当時の Coventry は、New York Dolls、The Brats、Teenage Lust などが出演するロック好きが集まる場所だった。通常の入場料は$2~$3程度、最低でも2杯の飲み物を買うことが要求された。とは言ってもビール一杯が$1だった。中に入ると右手にはバーカウンターがあり、テーブルと椅子が置いてあった。中には両脇それぞれにステージがあり、一方で演奏している間に、もう一方のステージでは次のバンドが準備をすることができた。

logo1Coventry には当初 Wicked Lester の名前でブッキングしていたが、直前にバンド名を KISS で出演することが最終決定される。エースはその場でマーカーペンを持ち、ポスターに KISS のロゴ(みんが大好きな稲妻シェイプのSが並ぶロゴだ)を描いた。エースが描いたロゴを持ち帰り、その後ポールがデザイン用のペンで描き直した。実は2つのSはシェイプが異なっている。理由は手書きしたからだとポールは言っている。(Casablanca と契約した際に、ロゴを描き直すかと聞かれたが、そのままにしておいて欲しいと答えている)

メンバーとその兄弟や友人たちはフライヤーやポスターを作り、ブルックリン、クイーンズ、マンハッタンなどの街角に貼っていった。フライヤーやポスターのデザインはポールが行った。デザインには裸の女性が描かれている。「人の気を引くには裸の女性が1番さ。」とポールは言っている。さらに Village Voice誌へもコンサート広告を掲載している。

coventry130実は Coventry の最初のショーでは全員が KISS メイクをしていたわけではない。ジーンは顔を白く塗り、コウモリのような形を目の周りに描いていた(ジーン・メイクの原型と言えるが、まだ髪は上げていなかった。最初のショーで髪に当たった部分のメイクが落ちてしまったので、以降は上げることとした。)、エースは馴染みのシルバーのメイクをしていたが、顔を白くは塗っていなかった、ピーターはルージュとチークを塗る程度、ポールはほぼ素顔という状態だった。当時はまだ最終的にどの路線でいくのかが最終決定されていなかったからだ。そのため、当初自分たちで撮影したプロモ写真はほぼ素顔に近い状態となっている。(このページ一番上の写真。撮影したのはエースの友人だった)また、ステージ写真を見ると服装もごく普通の格好をしている(KISS とは思えない!)

KISS としての初めての Coventry でのショーだったが、期待は裏切られ、ほぼ空の会場で演奏することになった。会場にいた観客はわずか6人。ピータの妻リディア、ジーンのガールフレンドとその友達、そしてスタッフとして手伝っていたピーターの弟と、その仲間2人だけだった。実はその夜はニューヨークでも特別寒い夜だったらしい。しかし、KISS は、観客が6人でも4万人でも変わらないショーを展開した。

その日は1日で2回のショーを行っている。各々のセットリストはこうだ。

Set.1
1. DEUCE
2. WATCHIN’ YOU
3. LOVE HER ALL I CAN
4. SHE
5. SIMPLE TYPE
6. KEEP ME WAITIN’
7. LIFE IN THE WOODS
8. BABY, LET ME GO
9. FIREHOUSE
10. BLACK DIAMOND

Set.2
1. DEUCE
2. LOVE HER ALL I CAN
3. SHE
4. LIFE IN THE WOODS
5. SIMPLE TYPE
6. KEEP ME WAITIN’
7. BABY, LET ME GO
8. WATCHIN’ YOU

※ “BABY, LET ME GO” は、後にタイトルを “LET ME GO, ROCK ‘N ROLL” に変えている。
※ “LIFE IN THE WOODS” はレコーディングされることがなかった曲。ポールが作った曲だが、他の曲とはだいぶ違ったムードを持った曲だった。「森で鳥や木と暮らしていこう」なんていう歌詞はまったくもって KISS らしくない。ポールによると「(オリジナル曲が少なかった頃に)ライブの時間を伸ばすために演奏したんだよ」だそうだ。
(曲はこのページの一番下で!)

1973年1月30日(火)から2月1日(木)までの3日連続でのショーで KISS が得たギャラは$30だったが、全てスタッフの手に渡している。

■The Daisy 1973/3/9、1973/3/10 ~ デモ収録

ファーストライブの後もメンバーは出演できる会場を自分たちで探していった。ジーンはライブハウスに自分から電話をし、「凄いバンドがいるから、出演させた方がいい」とアピールをした。当時のニューヨークのクラブシーンでは、TOP40のヒット曲を演奏するバンドの方が簡単に会場を探すことができた。KISS のようにオリジナル曲を大音量で演奏するバンドは会場を見つけるのがかなり骨の折れる仕事だった。

3月9日と10日に Long Island 地区にある Daisy でライブを行っている。
Daisyでのライブに向けた衣装は S&M ゲイ・ショップの Eagle’s Nest で選んだ、黒革にスタッズが付いた衣装だった。それから同じように黒革にスタッズが付いたベルトとカラー(首に巻いている革)はペットショップ で買ったものだ。ポールは別の S&M ショップでも黒革の6インチ(約16cm)のハイヒール・ブーツとタイトなパンツと黒いTシャツを買った。ポール1人の衣装で$53だった。

Daisy でのショーに向けてピーターは母が作ってくれた胸に KISS と描かれたTシャツを着てライブに臨もうと思っていた。そのTシャツは接着剤でラメを貼り付けたものだった。下半身はレオタードとレザーのショートパンツというスタイルだった。

ポールとジーンはエースにもTシャツを買ってこいと金を渡したが、いつもエースは酒を飲むことに使ってしまっていた。そのため、ライブ当日はピーターの妻である Lydia とピーターの兄弟が作ってくれた KISS のロゴが書かれたTシャツを着ることとなった。当時エースは他にも胸に羽が描かれたシャツも着ているが、それはエースの母が縫い付けてくれたものだった。ジーンが着ている胸にドクロの絵が書かれたシャツもそうだとエースは言っている。

この Daisy でのライブは翌日から開始されるデモ制作のためのウォームアップだったと言われている。だが、徐々に KISS 目当てで会場に足を運ぶ客も増えてきていた。初めて KISS を観る観客の反応はほとんどが、「こいつらいったい何者だ!?」だった。当時のニューヨーク音楽シーンは New York Dolls に代表されるグラム全盛だった。その中で KISS は異彩を放っていた。他のバンドよりもミステリアスな雰囲気を出すことに成功していたのだ。

当時、ほんの数回ではあるが、ショーの最後に Moody Blues の “Go Now” もカバーソングとして演奏していた。何かショーの終わりを告げる曲が欲しかったとのことで KISS 風にアレンジしていたとはいうがイメージに合わなすぎる…また、1st アルバムのレコーディング時に候補曲の1曲にもなっていたが、実現しなかった。

4df1beb2078f4a7f445c0b22ffbc21991973年の3月11日から13日にかけて Jimi Hendrix や Led Zeppelin のプロデュースもしたことがある Eddie Kramer のプロデュースでデモ・テープ録音を行っている。Eddie Kramer に声をかけたのは、Wicked Lester のプロデューサーであった Ron Johnsen だった。録音に先立って、Eddie をリハーサルに使用していたロフトに呼び、レパートリーだった15曲の演奏を聞かせた。演奏を聞いた後で Eddie Kramer はこう思った「演奏に関して言えば絶賛に値するほどではなかった。当時彼らはまだ優れたミュージシャンというほどではなかったんだよ。でも、エースの演奏には興味を惹かれた。エースが KISS のサウンドの要だと思った。彼がサウンドにエッジを加え、他のバンドとの差を引き出していたんだ。」15曲の中から Eddie が選曲したのが、”DEUCE”、”STRUTTER”、”BLACK DIAMOND”、”WATCHIN’ YOU”、”COLD GIN” の5曲だった。デモ制作にエンジニアとして立ちあったのは Ron Johnsen だった。デモはわずか4トラック(drum、bass、guitar、vocal)でレコーディングされている。Eddie は敢えて古いタイプの録音をしたが、それが KISS の曲やサウンドに合っていると考えたためだ。それがまさに思い通りの結果を産んだ。KISS の持っていたパワフルさが、その4トラックにパーフェクトに凝縮されていた。





■The Daisy 1973/4/13、1973/4/14

デモ制作後には再び Daisy でショーを行っている。3月のDaisy でのショーの後、KISS の名はニューヨークで噂になり始めていた。4月のショーには3月でのライブの数倍の観客がやって来るようになった。その顧客動員の伸びは当時のニューヨークでも群を抜く勢いだった。

d5f2ff374dd4681750440bb5a53e964bこの頃には、メイクの形もデビュー後に近いイメージになってきていた。まだ、ポールは目の周りを黒くする程度だったが、他のメンバーはほぼ原型と言ってもよい。

メイクだけではない、ライティングにも拘った、カラフルなスポットライトや、パトライト(パトカーや消防車がサイレンと共に灯らせていたあれだ!)を買ってきてアンプの上に設置した。それを “FIREHOUSE” のエンディングとショーの最後に演出として点灯した。

1973年春、ニューヨークで最も人気があったローカルバンドは、New York Dolls だった。New York Dolls は1973年3月にマーキュリーレコードとの契約が決まり、地元ニューヨークでのライブでは常に観客を満員にしていた。

ある日のリハーサル後に KISS の4人も Dolls を観に Hotel Diplomat へ行っている。Dolls がステージに上がるとそのきらびやかな衣装にジーンとポールは息を飲んだ。「こいつら既にスターだ!バンドやってるヤツだったら、このバンドに入りたいと思うに決まってる!」だが、彼らが演奏を始めた途端にジーンとポールは再び目を合わせた「こいつらなら越えられる!」

Dolls のコンサートを観た後で KISS のファッションのコンセプトが決まった。Dolls がカラフルな路線を行くのなら、自分たちのカラーは白と黒とシルバーだけにして別のやり方で攻めるんだ!

■1973/5/4 Bleecker Street Loft, 8th floor with “The Brats”, “Queen Elizabeth with Wayne County”
■1973/5/26 Lamont Hall with “Bloontz”, “Jackdaw”, “the Pat Rebillot Quartet”

5月26日には一風変わったショーを行っている。ショーを行った Lamont Hall はコロンビア大学内にある地質学の地震観測のための敷地内にあった。イベント自体は Palisades Free Library という図書館の基金調達イベントだったのだ。Wicked Lester のプロデューサーだった Ron Johnsen がこのイベントの主催者と近所に住んでいて、毎年このイベントで演奏するアーティストを紹介していた。会場付近は KISS がいつも活動の拠点としていた Queens や Bronx や Long Island 地域とは違い、静かな佇まいの地域で映画俳優などが暮らしていた。1973年に John が紹介したもうひとつのバンド “the Pat Rebillot Quartet” は女性ボーカルのコンテンポラリー・ジャズを演奏するバンドだった。当日、会場のテントやテーブル、イスなどのセッティングをしている時に KISS のメンバーは到着し、彼らを手伝っている。その後、準備をしてくると言い残して Ron Johnsen の家に向かった。まずは、”the Pat Rebillot Quartet” の演奏が始まり、客たちはシェフが作る料理を食べ、ワインを飲み、ある者はジャズの音楽に合わせてダンスを踊っていた。客の中には80歳を超える老婦人たちもいた。時間も22:30から23:00頃になり、いよいよ KISS の登場だ! ポールはマイクを掴むと叫んだ!”Okay baby, move you ass!” 会場の人々は唖然として開いた口が塞がらなかったそうだ、そうまるで火星人の襲来を見ているかのように…。しかし、曲が進むと老婦人たちも楽しみ始めた!ある者は立ち上がり、または踊りだす人まで出てきた。どうやら劇場で演劇を楽しむかのように受け入れることができたらしい(この辺がさすがニューヨーク!)。当然、KISS ファンの若者も会場には集まっていた。通常の基金調達イベントではせいぜいが40人位の集まりだったが、この年は400人近くの人が集まり、大騒ぎで踊りまくってショーは大成功の内に幕を閉じた。

※ショーは夜中まで続いたため、会場の片付けは翌朝行うことがアナウンスされた。翌朝、そこには素顔に戻った KISS のメンバーも来て、一緒に片付けを手伝っている。

KISSTORY:1973 Part2 に続く
※ 1973年5月に録音されたというロフトでの練習音源

※ “SIMPLE TYPE” (6月の Daisy でのショーから)Coventry でも演奏していた曲

※ “LIFE IN THE WOODS” (6月の Daisy でのショーから)Coventry でも演奏していた曲

※ 当時ニューヨークで活動していた Teenage Lust(イントロの女性たちのチアの後に始まります)

※ 同じく The Brats

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