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DYNASTY

220px-Dynasty_(album)_coverタイトル : DYNASTY/地獄からの脱出
発売日 : 1979年5月23日(米)
レーベル : Casablanca(米)
録音場所 : Electric Lady Studios(New York)
録音年月 :1979年2月
プロデューサー : Vini Poncia
エンジニア : John Mathias、Jim Galante、Jay Messina
参加ミュージシャン:
Anton Fig – drums on all tracks except “DIRTY LIVIN'”
Vini Poncia – backing vocals, keyboards

1. I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU Stanley, Vini Poncia, Desmond Child
2. 2,000 MAN Mick Jagger, Keith Richards
3. SURE KNOW SOMETHING Stanley, Poncia
4. DIRTY LIVIN’ Criss, Stan Penridge, Poncia
5. CHARISMA Simmons, Howard Marks
6. MAGIC TOUCH Stanley
7. HARD TIMES Frehley
8. X-RAY EYES Simmons
9. SAVE YOUR LOVE Frehley

BILLBOARD誌最高位:9位

シングル・カット:
“I WAS MADE FOR LOVING YOU” / “HARD TIMES” BILLBOARD誌 11位
カナダ、オランダ、ニュージーランドなどでは1位を、フランス、ドイツでは2位を記録している。
“SURE KNOW SOMETHING” / “DIRTY LIVIN'” BILLBOARD誌 47位

NOTES:
1978-promo-picアルバムにはLPレコード6枚分の大きさのポスターが折り込みで付録になっていた。

“DYNASTY” の事を語るには当時の音楽シーンのことを語っておくべきであろう。1979年という年はアメリカではディスコ・ミュージックの流行った年である。Donna Summer、Village People、The Bee Gees、Pointer Sisters などがチャートの上位にいた。(年間トップ・ヒットは、The Knack の “My Sharona” ではあったけど)ハード・ロックには商業的に厳しい時代であった。

“DYNASTY” は、1977年の “LOVE GUN” 以来のスタジオ録音(ALIVE2 4面の5曲を除く)のリリースとなった。アメリカでの発売当時の宣伝文句は「Return of KISS」であった。だが、このアルバムは初期 KISS の終焉の序章、すなわち「End of KISS」だったのだろう。メンバー間の個人的な感情のぶつかり合いは、1年以上に及ぶグループとしての音楽活動停止と全員がソロ・アルバムを製作することで癒えるかに思われたが、実際にはそうは行かなかった。なんと、”DYNASTY” 録音時にメンバー全員が顔を揃えることはなかったのだ。

“DYNASTY” では、これまで以上にエースの曲がフューチャーされている。なんとジーンの曲よりもエースの曲の方が多いのだ。(エースとポールが3曲ずつ、ジーン2曲、ピーター1曲という構成)これは、もちろんエースのソロ・アルバムの成功によるものだ。レコード製作時のインタビューでポールは「ファーストやセカンドアルバムの頃のようにジーンと一緒に曲を作ってるよ」と語っていたが、それらの曲はレコードには収録されなかった。そう、まるでソロ・アルバムの延長を組み合わせたようなアルバムだった。

ジャケットの写真は有名なファッション写真家だった Francesco Scavullo により撮影されている。当時から KISS ファンには人気のあるジャケットだ。ただ、この写真も初期の The Beatles を真似たような写真とも言える。おまけのポスターも同じ Francesco による撮影。

※この初期ビートルズの写真がデザインの元となった?!
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プロデューサーに選ばれたのは、Vini Poncia だ。Vini は、ピーターのソロ・アルバムのプロデューサーでもある。Vini の起用はピーターの推薦によるものだが、ピーターが機嫌を損ねないように取られた措置(アルバム製作をスムースに進行させるため)だとも言われている。他にもプロデューサー候補として Giorgio Moroder の名前まで挙がっていたらしい。これは本当に実現しなくてよかった。(Georgio は当時ディスコミュージックで一気に名を馳せた Donna Summer のプロデューサーだった)プロデューサーの Vini は、就任後にピーターのドラム・プレイを聴いて、この状態で KISS の曲を演奏させるのは問題があることを指摘していた。当時のピーターはドラッグの多用による感情的問題と前年の交通事故による怪我によって身体的にも危うい時期であったことが、このエピソードからもわかる。

KISS はピーターに代わるドラマーとしてエースのソロ・アルバムにも参加していた Anton Fig をアルバム製作前のセッションに参加させた。結局、ピーターは自分の曲である “DIRTY LIVIN'” のレコーディング時以外にスタジオに現れることはなく、Anton Fig がそのままレコーディングに参加することとなる。Anton は後にこう語っている「特に誰と同じように叩けっていう指示はなかったよ。多少提案があった程度で、他に参加した(KISS 以外の)アルバムと変わらなかったよ。」

“I WAS MADE FOR LOVING YOU” は、KISS 大ヒット曲の一つに挙げられるが、アメリカでは11位しか獲得しかいない。しかし、世界的に見ればヨーロッパやオセアニア地区で1~2位を獲得するヒット曲だ。当時ポールは語っている「曲が大成功でとっても嬉しいよ。ディスコ・ビートだって、曲が良ければ問題ないんだ。初期のモータウンサウンドだって、リズム(ビート)としては大きな差はないんだよ。曲が良ければ、ジャンルは何かなんて関係ないし、気にする必要のない事だよ。どんなジャンルだって、ダメな曲はダメなんだから。」また、後日、ポールは「ディスコ・ミュージックなんて簡単に作れるっていうのを証明したかったんだ。」とも語っている。当初のタイトルは、”TONIGHT” だった。作曲過程のことをポールはこう語っている。「ほとんどのディスコ・ミュージックはリズム(ビート)のタイミングが同じなんだよ。だって、曲が途切れないように繋げてかけるにはそうする必要があったんだから。曲を作ってる最中は楽しかったよ。(この曲で)将来がとうなるかなんて心配はしてなかったよ。」

“I WAS MADE FOR LOVING YOU” は、アルバムの中で最後に録音された曲となった。ポールはこの曲で、外部のソングライターとして Desmond Child を呼んでいる。Desmond Child との関係は80年代にはより強固となっていくが、この時は、ソロ・アルバム作成時に Desmond Child & Rouge 用に共作した “The Fight” の件もあり、声をかけたそうだ。ちなみに Desmond Child は自身の活動よりも外部ソングライターとして数々のヒット曲を残した人物であり、 Bon Jovi の “LIVIN’ ON A PRAYER”、”YOU GIVE LOVE A BAD NAME”、”BAD MEDICINE”、Aerosmith の “DUDE (LOOKS LIKE A LADY)”、”ANGEL”、”CRAZY” などのヒットがあり、他にも Alice Cooper、Joan Jett、Chicago、Ratt、Katy Perry など多くのアーティストに曲を提供している。

この曲ではジーンがベースを弾いている。最初にポールが曲を持ち込んだ時は「この曲はまったく KISS サウンドらしくない、でも、今これはレコーディングすべきだと思った」と後日語っている。

エースは、”I WAS MADE FOR LOVING YOU” ことを“ロック・ディスコ”と表現していた。エースはアルバムの他の曲とのバランスを考えた時に少なからず不満を感じていた。自分がアルバムに持ち込んだ曲のソリッドなロック感と一時的な流行に乗った曲が同居していることが気に入らなかったのだ。

Casablanca は、”I WAS MADE FOR LOVING YOU” がディスコで演奏されるようにと7分54秒にもおよぶロング・バージョンを編集し、12インチシングルとしてリリースしている。(このバージョンはアルバム「CHIKARA」に収録されている)

“SURE KNOW SOMETHING” と “MAGIC TOUCH” の2曲ではポールがベースを弾いている。また、”SURE KNOW SOMETHING” のリード・ギターを弾いているのもポールだ。”2,000 MAN”、”HARD TIMES”、”SAVE YOUR LOVE” では、エースがベースを弾いている。つまり、ジーンはこのアルバムで3曲しかベースを弾いていない。(”I WAS MADE FOR LOVING YOU”、”CHARISMA”、”X-RAY EYES”)

“2,000 MAN” は、単なるカヴァーとしてではなく The Rolling Stones へのトリビュートとしての意味でエースからレコーディング・セッションに持ち込まれた。(原曲は、”Their Satanic Majesties Request” に収録されている)ジーンが振り返っている。「”2,000 MAN” は完璧にエースの物だった。エースがスタジオにデモを持ち込んできた時にすっかりアレンジは完成していたんだ。誰も収録に反対する者はいなかったよ。」

※”2,000 MAN” のオリジナル The Rolling Stones版

この時期、ピーターは KISS にいることにすでに満足してはいなかった。ピーターは “DIRTY LIVIN'”、”RUMBLE”、”OUT OF CONTROL” 、”THERE’S NOTHING BETTER” の4曲を持ち込んでいた。しかし、採用されたのは1曲のみだった。ピーターが KISS のアルバム用にと持ち込んだ曲はどれも自身のソロ・アルバムよりもよりROCK色の強いもので、これまでの KISS のアルバムよりもチャレンジはしていたが、同じタイミングでエースも成長してしまったことが不運だったと言える。(”OUT OF CONTROL” 、”THERE’S NOTHING BETTER” の2曲は KISS 脱退後のピーターのソロに収録された)

ピーターはこの時期、プライベートでもいろいろなことがあった時期である。映画 “KISS Meets The Phantom of the park” の撮影中に出会ったモデルの Debra Jensen と付き合うようになり、1978年の年末にそれまでの夫人であった Lydia と離婚している。Debra Jansen は、1978年1月号の PLAYBOY誌にも登場している。この離婚に関することもピーターの精神面に多少の影響があったと思われる。

※ピーターの曲 “RUMBLE” のデモ。

ちなみに “DYNASTY” は英語読みをすると「ダイナスティ」だが、オーストラリアの発音では、「ディナスティ」となる。ポールはこの話が好きなようで、オーストラリア公演で “DYNASTY” からの曲を演奏するときは毎度と言っていいほど、「オーストラリアではディナスティだ!」とMCする。

※DYNASTY の米TVコマーシャル

※”DIRTY LIVIN'” のディスコバージョン

※ “I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU” のリハーサル過程

※”SURE KNOW SOMETHING” のリハーサル過程

※日本版 “I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU” のジャケット
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※ポスター撮影時のOuttake写真
なぜか、この写真では、メンバー4人が拘束服(両腕で自分の身体を抱え込むようにして自由を効かなくなる構造になっている)を着ている。ポスターのベースとなっている写真はこれで、後から服の部分を黒く塗り直す編集がされたようだ。
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20140209_231725000_iOS?中央の人誰だろう…?

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